ギャラリー

牧山地区町内会会員の趣味や特技を生かした投稿のコーナーです。ご覧ください。

 

JR津山線・てらちゃんの至福の気動車空間 (写真・文責 岡山市北区下牧 寺﨑貴博)

祝! 2018(平成30)年12月21日で津山線開業120周年!!
ー1898(明治31)年12月21日開業ー

こんにちは。ボクは気動車(ディーゼルカー)が好きな”てらちゃん”こと寺﨑貴博です。ゆるい感じで津山線の車両や祖父が残してくれた懐かしい牧山駅の写真を紹介します。
ボクは、祖父が津山線や吉備線等の駅員だったこと、津山線が家のすぐそばを走っていたこともあり、ちびっ子の頃から気動車がとても身近な存在で自然と好きになっていたのです。小学生の頃は走行する列車を時計代わりにできました。そんなある日、引退した祖父から「近々、最新のすごい気動車が津山線を走るぞ」と聞かされ、当時のボクは今か今かと目を輝かせながら待っていたものです。そしてついに初めて目にしたのが朱色5号の単色(首都圏色)を身にまとったキハ47でした。あの時の感動は今でも忘れられません。
今年は津山線開業120周年です。みんなで盛り上げていきましょう。
さあ、それでは、てらちゃんの至福の気動車空間、出発しんこぉーぅ!

 

=津山線・現在運用中の車両=

​​

  キハ47形
 現 在  少し前:岡山色だった頃(1997~2017)
1977(昭和52)年から全国に配置され始めた期待の新型ディーゼルカー。津山線にも1978年から順次投入され、朱色5色の単色で塗装されたボディはそれまでの赤/クリーム塗装の一般的なディーゼルカーとは違い、急行型と同じく車体下部の裾を絞ったスマートなイメージで登場した。
片運転台式でトイレ付とトイレ無しの2タイプあり、当初は220馬力だったが330馬力へ。ホワイトの岡山色から登場時の朱色5号単色への塗装変更がなされたが、これは塗装工程の簡略化によるコスト削減を狙ったもの。 
津山線高速化事業で機関変更と共に地域別色の導入で、岡山色に塗り替えられた車両が1997(平成9)年に走り始めた。
初期は写真右の淡い紺色の窓枠塗装が快速ことぶき用、左が普通列車用と区別されていたが、後期はあまりこだわらず運用されていた。しかし、塗装工程簡略化により検査入庫のタイミングで登場時の色に戻され、最後まで残っていた142番(写真左のタイプ)もついに朱色5号単色に戻された。
 

  キハ40形

 現 在 少し前:岡山色だった頃(1997~2017)
1979(昭和54)年、キハ47に続き朱色5号単色の新車で投入された。全車トイレ付きで、両運転台式、単行運転(一両編成での走行)も可能。キハ47同様、高運転台化で床下前面にスカートを装着し、当時としては車体下部の裾を絞ったスマートで洗練されたイメージであった。登場から40年近く経っているが、キハ47同様、現在も主力で活躍中。当初は220馬力だったが現在は330馬力へ変更。キハ40も白色の岡山色から登場時の朱色5号への変更は完了。ところで、この朱色5号の車両は春から夏にかけての萌える里山の風景に実によくマッチし、見事に写真映えするので感動してしまう。

 

キハ47と同じく地域別色が施されたが、キハ47のような淡い紺色の窓枠塗装の車両は存在しない。キハ40も、登場時の朱色5号単色への塗装変更中だったが、最後まで残っていた2036番も検査のため入庫後、朱色5号に塗装完了。これにより岡山色は全滅。それにしても岡山色はオフホワイトの車体に裾は渋いブラウン、そしてそのすぐ上部には鮮やかなブルーのラインと、なかなかセンスがいいと思う。しかし、視認性からは今ひとつの面もあった。

 

  キハ120形

キハ120形は塗装変更対象外。なお、JR 吉備線では キハ120形は運用されていない。

 

1992(平成4)年から全国に投入され始め、津山線にも1996(平成8)年に300番台が新車で登場した。
ステンレスの車体で、オレンジと赤のラインがアクセントの明るい岡山色である。(地域によりラインの色は異なる)
軽快な全長16㍍の小型気動車であるが、意外にも330馬力ある。登場時は軽量化のためかトイレがなく客から苦情があり、一部座席を取り払い設置された。外から見ると、座席の窓がはめ殺しになっているのでよくわかる。
登場時は朝から夜まで運用本数も多く大活躍していたが、現在は一日2往復まで激減した。編成も3両や2両、1両とバリエーションに富んでいたが、現在は2両編成に落ち着いている。

 

=ノスタルジー車両=

2016(平成8)年、岡山ディスティネーションキャンペーンで、旧国鉄時代の一般車両の塗色である朱色4号とクリーム4号(昭和30~40年代)で再現した観光列車である。内部も座席を当時の青色のモケット(シート生地)に変更、テーブルに栓抜きも設置、天井の扇風機にはJNRマークまで再現してあった。車両は既存のキハ47(47番と1036番)の2両を改造し、2016年春デビュー、同年秋にはキハ40(2134番)もデビュー。現在も定期運用の他、イベント列車として津山線以外でも活躍中。

 

  キハ47形
 現 在 デビュー時  ヘッドマーク付(2016.4.9~6.26)
現在は普通・快速問わず運用されているが、ヘッドマークからステッカーに変更されている。
なお、イベント列車で使用の際は、登場時のように各種ヘッドマークを付け運用される。
2016(平成28)年4月デビュー。4~6月の土日にイベント列車「みまさかノスタルジー号」(快速)としてヘッドマーク付きで1日2往復していた。専属の車掌(OB)も2名乗車し、サービス満点だった。

 

  キハ40形
 キハ47形+キハ40形
待望のノスタルジー色が2016(平成28)年11月デビュー。キハ40形にはステッカーがないが、イベント列車で使用時は各種ヘッドマークが付けられる。

 

キハ47+キハ47+キハ40のノスタルジー堂々完成。この編成は運が良ければ、牧山駅8:11発岡山行き普通列車で見ることができる。

  

 

   = 懐かしの急行「砂丘」=   1962(昭和37)年~1997(平成9)年

1962(昭和37)年9月、宇野~岡山~鳥取間の準急として運転開始。後の1966(昭和41)年に急行に格上げされ、区間も岡山~鳥取間に変更、陰陽を結ぶ急行として多くのサラリーマンの出張や旅行客の足として活躍した。本数もJR化後の最盛期には一日5往復まで増発されるなど需要があったが、1994(平成6)年、智頭急行の開業で特急「いなば」(現在のスーパーいなば)がデビューし、砂丘号は廃止に追い込まれ、1997(平成9)年11月28日に35年の歴史に幕を下ろした。

 

 国鉄色
急行「砂丘号」は、1997(平成9)年に廃止されるまで、グリーン車を組み込んだキハ58系の編成が一貫して使用された。代表的な編成例として、キハ58+キロ28+キハ58+キハ65がある。JR化後の1988(昭和63)年にグリーン車のキロ28を改造したキロハ28なる合造車も登場した。本数は1972(昭和47)年から一日3往復、1985(昭和60)年には4往復であった。ところで、グリーン車洗面室の通路側に冷水機があり、夏場に備え付けの紙コップを広げてキンキンに冷えた水を注ぎ込み飲むことができた。

砂丘専用色 
1992(平成4)年に今までの国鉄急行色から砂丘専用色へと塗装変更が行われた。上半分は薄いグリーン、下部はエメラルドグリーンで中央部にはパープルのラインが入り、車体裾部分はライトパープルという明るく美しいカラーリングである。室内も壁や内装が変更され、0系新幹線のリクライニングシートが転用されグレードアップ。例のキロハ28も連結し一日5往復、まさにこの頃が砂丘の最盛期であった。結果的に智頭急行開業に伴い35年の歴史に幕を下ろしたが、全国の大勢のファンが詰めかけ名残を惜しむ涙、涙のラスト・ランだった。そしてラクダを模した三代目ヘッドマークには「さよなら」の文字が・・。

砂丘専用色キロハ28
砂丘号ではキロ28として一両丸ごとグリーン車として連結されていたが、「キロ28」を改造して車両の半分がグリーン車、残り半分が普通席(自由席)というグリーン車+普通車のいわゆる合造車が「キロハ28」として1988(昭和63)年に登場した。グリーン席と自由席は壁で仕切られており(通り抜け可能)、それぞれが独立した客室になっていた。国鉄色の時にキロハ28に改造されたが、1992(平成4)年に砂丘専用色になると、なんとも美しくかつ大胆なカラーリングとデザインでより一層キロハ28の半グリーン室+半自由席が際立ったように思う。

 

 

⋘⋘急行「砂丘号」ヘッドマークの移り変わり⋙⋙

1985~1992年 1992~1994年 1994~1997年 1997年11月

砂丘号のヘッドマークが付けられて運用されたのは意外にもデビューから結構後のことであった。懐かしの木造牧山駅舎にまだヘッドマーク無しの砂丘号が通過している写真が写っており、それを物語っている。

    

  

 

    =短命だった急行「つやま」= 1997(平成9)年~2009(平成21)年

砂丘号廃止の後を受け継いで1997(平成9)年11月29日デビュー。JR側は乗り気ではなかったが、津山市からの何とか急行を残してほしいという熱い要望で、元砂丘号の車両(ヘッドマークなし)を使用し、一日1往復で運行。しかしその後、元砂丘号の車両は老朽化が著しく、代わりに普通列車用のキハ48を投入するのだった・・。

 

前期 1997~2003

中期 2003~2006

後期 2006~2009

とりあえず砂丘号の車両を流用し運用開始。運行本数は砂丘時代に比べ大幅に減便された結果、僕の大好きなキハ65は全車廃車に。残るキハ58+キロハ28+キハ58という編成になったが、2003(平成15)年ついに車両老朽化のためキハ48にその席を譲る。キロハ28は全車廃車・解体され、キハ58も廃車・解体されたが2両だけ残りミャンマーに譲渡された。

 

2003(平成15)年10月のダイヤ改正でキハ48広島色の車両を急行「つやま」として使用。因みにキハ48が津山線を走るのは今回が初めてだが、今までは急行型車両が使用されていたのに対し、このキハ48は一般型の普通列車である。あえて津山線にないキハ48を広島色のまま走らせ、他のキハ47や40との区別をつけたのだろうか?しかし、キハ48は急行型ではない。なんというか・・。 キハ48も2両とも岡山色へと塗装完了。ただ、専用色にしなかったことで、せっかくデッキが付いているのに急行という特別感がない。キハ47やキハ40と同じ普通列車と変わりないのが残念だ。しかし、2009(平成21)年3月13日のラストランにはJR最後の昼急行ということもあり、全国から鉄道ファンが詰めかけた。

    

 

   =津山線を走行したヘッドマーク付きの車両たち=

  

ふれあいSUN-IN

2000年5月21日、キハ58系を改造して洋室や畳部屋を有する和洋折衷の観光列車。キロ59+キロ29+キロ59の3両編成で全車グリーン車扱いとなる。

キハ28・58ラストラン

2010年11月20・21日、国鉄時代の人気の高い急行型気動車で全国を駆け抜けたキハ28とキハ58のラストラン。津山線では急行「砂丘号」で活躍。

 

津山B-1グランプリ

2013年5月25・26日に津山でのB級グルメの祭典PR用ヘッドマーク。撮影は4月27日、岡山駅にて。

みまさかノスタルジー

2016年4月9日~6月26日まで、土曜と日曜のみこのヘッドマークを付けて快速で岡山~津山間を走行。現在は定期運用についており、ステッカーに変更されている。

 

吉備之国漫遊ノスタルジー

2016年5月27・28日に県内一周ツアー「吉備之国漫遊ノスタルジー」の一泊2日コースの2日目復路のみ津山線を走行。

キリンビール列車

2016年6月5日、おつまみ付きで飲み放題!ビールサーバーやちょうちんの他、ハッピを着たキリン関係者らも乗車。

 

津山さくらまつり

毎年恒例、津山さくらまつりのPR用のヘッマーク。3月下旬からの祭り期間中、1編成の前後に付けて走行。2017年4月7日、牧山駅にて。

津山夜桜列車

2017年4月8日、津山さくらまつりの夜桜見物に便利な「夜桜列車」用の美しいヘッドマーク。岡山駅にて発車前に激写。

地酒列車

2017年6月10日、ノスタルジー列車の車内で沿線ゆかりの地酒をいただきながら県北を巡る「美作国地酒列車」

 ごんちゃん号

「津山納涼ごんごまつり」をPRする「ごんちゃん号」のヘッドマーク。毎年8月上旬の土・日曜日に祭りがあるので、6月下旬からPR用に付けて運行。

ここで取り上げたヘッ ドマーク付き気動車は津山線を走行したものに限定しています。全部を撮影するのは無理ですが、皆さんも気にして津山線を見ていると、面白いヘッドマークに出会えるかも。

 

 

   =最近のラッピング列車=

 

 

美咲町が募集したエッグデザインコンテストの応募作品や観光名所がラッピングされた2両編成、キハ47‐85番+キハ40‐2043番。2012年10月に登場。 2013年4月から登場した「NARUTO列車」。約1年運用された。キハ47の2両編成、車内も登場キャラクターのイラストだらけだった。 キハ120‐353番の「NARUTO列車」。こちらは一両のみラッピングされた。

 

  

   

 =津山線作業車両=

 

軌道検測車

 

写真手前がキクヤ141-2、2両目がキヤ141-2。津山線では軌道・信号通信関係の検測車として活躍中。キクヤ141とキヤ141の2両で一編成、それがJR西日本には2編成あるという。走行システムはキハ187系(スーパーいなば等)を基本としているので、加速力等の動力性能は良いのではないかと思われる。ドクターWESTという愛称。
この車両は津山線に限らず他の鉄道路線でも偶然出会えるかもしれないので、皆さんもぜひ実物をご覧になって感動を味わっていただきたい。

マルチプルタイタンパー

 

略称マルタイと呼ばれ、列車の走行によるレールの歪み矯正用に使用される。歪みは乗り心地を悪くするだけでなく、高速走行にも影響がある。そのため、定期的な保線用(バラストをまくら木の下に入れていく)に活躍する。最終列車が通った後の真夜中の作業となる。車の「パァン パァン」というクラクションが付いている模様。 牧山駅下の車道から撮影。くまなくとたびにゃん
のイラストが描かれている。
深夜の保線作業のため牧山駅の側線と呼ばれる
留置用の線路に数日間待機している
 

この客車 覚えていますか?

 

DE10

定期運用は既にないが、現在はバラストやレールの運搬用に年に4~5回運用している。主に夜中が多いと思われる。2001(平成13)年11月、自室より偶然撮影。

上の写真は作業車両ではないが、かつてDE10が
昭和50年代は朝夕1往復で6両の客車を牽引して
いた。僕は学生の頃、朝はこの列車で通学してい
たので思い出深い。祖父が1981(昭和56)年春
に撮影。

 

 

   =牧山駅舎今昔物語=

かつての牧山駅は、1962(昭和37)年に国鉄職員がいなくなり委託職員が管理していた。当時は、切符を売り、いろんな指定券も求めることができ、手荷物も送れ、旅行の案内、忘れ物の手配もしてもらえた。その後、1971(昭和46)年に無人駅となり、残っていた木造駅舎も1973(昭和48)年10月に取り壊され、同年末に現在のような待合所が完成した。
当時の古い写真は国鉄に勤務していた祖父が撮影していたもので、こうして皆様に見ていただける機会ができ、ありがたいものだと思う。(:牧山駅舎今昔物語に掲載の写真13枚は転載禁止

 

 在りし日の牧山駅舎

1973(昭和48)年10月撮影。この後、取り壊された。 急行砂丘号通過。この頃はまだヘッドマークがない。

 

 現 在
味もそっけもない現在の待合所(2番のりば)。昭和50年代の中ごろまでは左手に木造の自転車小屋があった。(2017年10月撮影) 写真は2番のりばの現在の待合所。
1973(昭和48)年10月に完成、その後手直しが行われている。

写真は 1番のりばの待合所。
1982(昭和57)年7月、駅複線化工事完了と同時に完成した。

 

単線だった頃の牧山駅
複線工事前の貴重な写真。1981(昭和56)年頃。
新車導入された当時のキハ47も写っている。
岡山へ向け出発。工事前は桜がきれいな駅で有名だった。
 

複線化工事着工(時期は不明)

津山方面に向けて撮影  岡山方面に向けて撮影

 


そして、1982(昭和57)年7月完成!
完成直後の牧山駅。左手が1番のりば、右が2番のりば。左はキハ30、右は6両の客車を牽引していたDE10。岡山行き朝7時40分頃と思われる。CTCが完成するまでの間、タブレット交換のための臨時の駅員も写っている。 

 

1982(昭和57)年7月の工事完成で列車の行き違いができるようになったが、まだ肝心のCTC(列車集中制御)が完成しておらず、同年8月の完成までの数日間は臨時で駅員が派遣され、タブレット交換(列車衝突防止のための通行手形のようなもの)をしていたのが写真から見て取れる。なお、CTC導入により、複線で行き違いができる他の駅もタブレット交換は廃止となった。写真の列車は急行型気動車キハ65-81番。
 

陸橋ができたのは、行き違いのための複線化工事終(1982年7月)から5か月後の同年12月。それまでは、左右を確認して線路を歩いて横断していた。
左手に写っているコンクリートの建物は、俗称「ヘッド」と呼ばれるCTC等の信号制御システムの管理場所である。基本的にこの風景は1982年の完成当時からあまり変わっていない。因みに、陸橋の補修は数年ごとに行われている。2017年10月撮影。

 

 

写真奥が岡山方面で、右が1番のりば、左が2番のりば。陸橋完成までの間、乗客が歩いて渡っていた場所。列車が来ると警報機が鳴っていた記憶があり、特に急行砂丘号通過の時はドキドキ物だった。ボクが中学2年生の頃だった。2017年10月撮影。

 

 

 

<てらちゃんプロフィール>
1968(昭和43)年7月10日(ウルトラマンの日)に登場。趣味は気動車の他に、車(三菱限定)、ガーデニング、カブトムシやクワガタのブリード、それにウルトラシリーズ・必殺シリーズ・マジンガーシリーズ・太陽にほえろ!の研究とそのコレクションで、貧乏の割には多趣味でマニアックな日々を送っている少々厄介な妄想中年であるが、料理を毎日作るというしおらしい一面も見せる。

ーおわりにー

さて、いかがでしたか?難しいところもあったかもしれませんが、少しでも津山線に興味を持っていただけたらなと思います。そういえば、ボクの娘がかつて高校生の頃、津山線の気動車で通学していたので、よく娘に「いいか、キハ120ってえのはな・・・」と講釈を垂れてたもんです。だから、同年代の女の子たちよりは少しわかっているようです。

ところで、いつも思うのは、せめてボクが生きている間は津山線は電化などせず、新型のハイブリッド気動車など環境対応のものが導入されるのを見てみたいものです。電車は雪に弱いし、味気ないし、コストがかかり過ぎるし、やはり津山線は気動車でいて下さい。最近は津山線のヘッドライトがLED に変更され明るい車両が増えてきましたが、ライト同様、津山線にも明るい話題が増えるといいですね。

最後に、このコーナーはボクが写真・レイアウト・文字原稿を持ち込み、牧山地区町内会広報部会の方に入力からアップまでしていただき、このように皆様に見ていただける運びとなりました。お礼申し上げます。

それでは、てらちゃんの至福の気動車空間&牧山駅舎今昔物語にご乗車いただき誠に有難うございました。