平島の歴史
平島の歴史地名「上道」は古代には「かみつみち」と呼ばれ、中世以降は「じょうとう」と音読されるようになりました。東部を上東郡として割譲した時期もありましたが後に再び上道郡に編入されました。
上道郡は上道国造(かみつみちのくにみやつこ)の支配した地域備前国の中心地として栄え 西は旭川 東は吉井川に至る郡域を支配。古くから開け、縄文時代前期の沼貝塚や、後期の竹原貝塚が存在し、大小の古墳が丘陵地に散財しています。
また、小廻山には古代山城跡があります。戦国時代、後に初代岡山城主となる宇喜多直家は、岡山城に移るまで新庄山城・亀山城と居城を構えました。
近世(1641年ごろ)山陽道は、香登から一日市~西祖~楢原と上道の中央部を往来していました。 1871年(明治4年)の廃藩置県により岡山県に属し、1889年(明治22年)町村制実施により、砂場村・西平島村・南古都村・東平島村・浦間村が合併して平島村の誕生となりました。
同時期に御休村(7ヶ村)・角山村(4ヶ村)・浮田村(5ヶ村)が誕生しました。
1953年(昭和28年)4月1日に平島村・御休村・角山村の合併で上道郡上道町となる。翌年3月30日に町役場が完成(旧地域センター)1955年(昭和30年)2月11日に浮田村が上道町に編入。
1971年(昭和46年)に岡山市に編入合併されました。この合併により「上道郡及び上道町」の名は消えました。
1891年(明治24年)3月18日山陽本線が岡山まで開通しその年に倉敷駅や笠岡駅まで区間を伸ばしていった。また、山陽新幹線は1972年(昭和47年)3月15日に岡山迄 開業し 山陰・四国への連絡口として大いに賑わうこととなる