「ふるさと平井」シリーズ№40を掲載

投稿日:2022年2月1日

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平井学区コミュニティ協議会発行
「ふるさと平井」から
(シリーズ№ 40 p.296-302)

       第8章 ふるさと探訪

   3.湊方面を訪ねて

①題目石  (259ページ)
西湊の西端、米山橋北側の山すそにある。この石碑は、200年以上前からこの地に祭られていたものと思える。
ゴリ山の首塚  (90ページ)
題目石から少し東に行った所から、竹藪の間の小道を上ると送電線の鉄塔がある。東の鉄塔の南に高さ約3mほどの土盛が見られる。
③昆沙門堂  (232ページ)
ゴリ山から、東へ80mほど行くと毘沙門堂の境内に出る。なお、この境内で陶棺が発見さ
れたことがあり、昔は墓地だったらしい。また椋(むく)と榎(えのき)の大木があり、樹齢数100年だったそうだが、この木に船を繋いだという言い伝えがあった。今は、この巨木も枯れてない。
④大山祇神社・荒神社  (233ページ)
毘沙門堂から少し西よりに下ると、鳥居が見えてくる。荒神さまと大山祇神社を祭ってある。
地元では、お荒神さまとして親しまれてきた。
裏庭に小さな祠があり「おしめさま」が祭られている。境内には、お稲荷さまも祭られている。
鳥居・手洗い石は氏子から寄贈されたものである。
⑤大日地蔵大権現(通称・汗かき地蔵さん)  (261ページ)
山よりの道を少し東に行くと、お堂が建っている。この中に、等身大の花崗岩の石碑が2基
ある。建物は昭和20年の空襲で焼けたので戦後再建された。
※ 地神様 (254ページ) 汗かき地蔵さんのお堂の前に、石積の台の上に5角柱の石柱が建っている。これが地神様で各面に5人の神様の名前が刻まれている。
※ お助け井戸 (90ページ) お地蔵さんの近くにあり、昔遭難した人達を助けるために掘った井戸といわれている。
⑥貝塚  (18ページ)
汗かき地蔵から北へ山道を約20~30m登った竹藪の間の土の中から「灰貝」の殻が沢山
出てくる。
⑦木野山神社  (257ページ)
川沿いの道を東へ行くと、東湊との境界、東山ニュウタウンの登りロがある。そこから山す
その道を少し東に進むと小さい木の社(やしろ)が祭られている。明治になってコレラの流行を防ぐために高梁の木野山からここへ勧請(じょう)したという。建物は最近修復している。
※ 社の側に石の灯籠(ろう)が立っている。 これは昔、沖を行く船のために、夜灯台の役目をしたといわれている。
※ 地神様 (254ページ) 灯籠の側に汗掻地蔵さんのところと同じ作りのものがある。
※ 庭の榎 登り坂右、人見氏宅庭の南西隅の榎に、昔千石船を繋いだという言い伝えがる。
※ お地蔵さんと石の祠 人見氏宅、西の道を少し登るとお地蔵さんと石の祠がある。
⑧水田跡・屋敷跡
お地蔵さんのところから坂道を少し登ると、西に広がるもうそう竹の藪がある。この竹藪が古い屋敷跡で、石垣が残り、井戸が掘られていた。
また藪の東側には、水田があったといわれている。
※ 狐の水浴び 少し登った竹藪の奥にこの呼び名の池があり、この辺の湧水の水源になっていたという。
⑨操陽小学校跡  (121ページ)
屋敷跡から少し南に出ると、ニュウタウンの登り道にでる。住宅の入り口付近から、南の崖下の竹藪の辺りが操陽小学校があった場所である

   4.操山を歩く

牛窓往来(大池茶屋)  (103ページ)
昔は、湊大池西の山際に牛窓往来の道があり、南の倉田新田の土手道へと続いていた。道端に題目石と六地蔵がある。
※ 地神様と石灯籠 大池の南・県道西大寺線の近くに池の内の公会堂があり、その側に地神様と石の灯籠がある
瑞光山仏心寺  (241ページ)
大池の東の県道を横切り旧道を東山峠のほうへ行くと、右側に石段がある。この石段を登ると、仏心寺の山門のある白壁の土塀が見えてくる。
池の内の北東の光が丘団地の上、山頂近くの大きな草屋根が特徴である。
※ 旗振台古墳 (23ページ) 仏心寺より北東の山を旗振台といい、この山頂近くにある。
尾佐無神社 (井戸神様)  (231ページ)
東山峠道の頂上手前東側の一段高い場所に小さな石の鳥居が建ちその奥に小さな社がある。
これが尾佐無神社で鳥居の脇に井戸枠が残っている。昔はきれいな水が出ていたので通称、井戸神様と呼ばれていた。
峠の茶屋  (77ページ)
昔の峠道は、険しい坂道で、道は狭く曲がりくねっていたため、尾佐無神社の近くに峠の茶屋があり旅の疲れを癒やしていたという。
「峠坂修路記」の碑  (104ページ)
峠の北にある信号を門田文化町方面に行く道(旧牛窓往来)の途中、幣立山公園南の山側にてられている。修復した記録が碑文になっている。
湊茶臼山古墳  (24ページ)
国際ホテルの東の登り坂をさらに南に行くと、別かれ道に出る。ここで左におよそ30~40m行くと山側に古墳への上りロがある。約5分ほど登ると頂上の古墳に出る。
松琴寺と瑜伽(ゆが)神社  (239ページ)
国際ホテルの南の道を西に約50mほど行くと松琴寺の入口があり、その南に瑜伽神社がある。池田治政の時代に児島の瑜伽神社を分祀(し)した。
横穴式石室墳  (26ページ)
瑜伽神社から西に少し下ると南側に小さな池がある。この池端の道を墓地の方に登ると、墓地に囲まれた場所に、多宝塔が建っている小さな土盛りがある。この塔の下に石室がある。
※ 屋敷跡 石室から南の柵の間を林の中へ入ると、少し西寄りに古い屋敷跡らしき庭石や泉水跡・土塀跡などが見られる。
操山配水池  (156ページ)
石室から西へ100mほど行くと道路の南の丘に配水池がある。
埋骨塔  (86ページ)
市営葬斎場東の道端の一角に、1基の墓碑が建っている。河川改修で柵原刑場跡地から出た遺骨をここに納めてある。
六地蔵  (263ページ)
葬斎場から四軒屋方面に下る途中右側にある。昔、土葬の頃死者との最後の別れをする場所であった。
孝女満喜の墓  (82ページ)
四軒屋から門田へ越える峠道に面して祭られている。藩政時代の悲しい物語が伝えられている。
最上稲荷山東山教会  (252ページ)
孝女満喜の墓から少し下って竹藪の手前を左に折れ10m程歩くと、南面した山の斜面に赤い鳥居があり、東山教会の建物が並んでいる。
大筒的場跡  (86ページ)
山陽短大南東付近の山の斜面が、杉土手の大筒摶(うち)場から打つ大筒の的場であったらしい。付近の竹藪の中から往時の弾が掘り出されている。
牛頭(ごず)天王  (256ページ)
四軒屋の急な坂の中腹の道路脇に三方(さんぽう)さまと呼ばれる祠や地神様と並んで牛頭天王の石碑がある。

(終)

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