「ふるさと平井」シリーズ№27を掲載

投稿日:2021年7月15日

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平井学区コミュニティ協議会発行
「ふるさと平井」から
(シリーズ№ 27 p.189-195)

       第5章 開けゆく平井

   5.公共福祉施設

岡山平井郵便局
平井地区に郵便局開設の要望が強くなったのは、昭和27年平井小学校が全学年開校されたころで、有志の人々による署名運動が始められた。その後学区民の人口等が郵政省の基準に達し、広島郵政局から開設の認可が出て、特定郵便局として平井郵便局が創設された。署名運動から7年後の昭和33年11月1日のことである。岡山郵便局の集配管轄下(当時は岡山東郵便局は開設されていない)であり、当時の郵便課長市川氏が初代局長に決定し、下平井旧土手の商店街の一角にあった店舗を郵政省が借り受けて発足したのである。(現在鮮魚店がある位置)

開業当時の平井郵便局
(市場町 夏井芙蓉子氏提供)

古い日本建築の商家を改造した局舎の前に、赤い大きな円筒型のボストが立っていたのが印象に残る。一般家庭でも当時はそうであったように開局当初の郵便局でも冬は木炭火鉢で暖をとり、夏は団扇で涼気を求めていたという。郵便料金は封書10円葉書5円であり、貯金通帳は手作業で金額器をことこと押して作っていた。平井郵便局の記号は「うちけ」であり貯金通帳番号は各郵便局ごとにつけられていた。開局第1冊目が1番であったから平井郵便局発行第1号の通帳は「うちけ1」から順次「うちけ2」「うちけ3」…となっていた。自分の好きな番号で通帳を作りたい人が早くから郵便局前に列をなし、近隣局職員の応援を得てやっと開局当日を乗り切ったという。平井地区には銀行や農協など金融機関がなかったので、開設された平井郵便局に対する地区民の期待は大きかった。平井小学校では修学旅行貯金の名目で、全児童が各自の貯金通帳を持ち、貯蓄精神の育成をはかっていた。またPTA会費や給食費等の諸集金事務を郵便局職員が学校へ出張して行った。
昭和44年9月、2代目の松岡局長が現在地に局舎を新築移転した。開局後11年、新興住宅地として平井学区が見直されたころ、農地の宅地転用が盛んになり郵便局舎も交通に便利なバス通り(当時は天満屋から四軒屋経由三蟠行)に移り平井地区発展の象徴となった。その後県道岡山ー玉野線の開通に伴い、会社商店住宅が急増して事務量も倍増している。昭和56年ごろから貯金業務はオンライン化され、郵便や保険の業務もだんだん機械化されてきた。郵便局は私たちの日常生活を便利に、そして豊かにしてくれ、学区民になくてはならない施設の1つである。
岡山東警察署平井駐在所
平井に駐在所が設置されたのは、明治29年である。当時は上道郡に属していたので西大寺署の管轄であった。宇野線開通前の三蟠港は岡山市の海の玄関であり、旭川堤防沿いの道は岡山市街を結ぶ重要な道路だった。その中間点に位置した平井は交通の要衝であり、駐在所が設置されたのも三蟠駐在所より5年早かった。当時の場所は現在の農協平井支所の北側であった。

平井駐在所(平成5年新築)

昭和6年岡山市に編入後岡山東警察署管轄区域となり、昭和11年駐在所も新しく建て直された。戦後農地の宅地化が進み平井小学校や市営住宅の建設など開発の中心が旧三万坪と言われた方面に移ったころ、昭和37年4月駐在所も平井小学校前のバス道路沿いに移転した。その後建物の老朽化のため平成5年再び約100m東の平井小学校北隣に移転現在に至っている
家族と共に居住して、その地域の治安に従事される駐在所の数は現在全国で約8600か所。その駐在所の治安維持に果たす役割は大きく、われわれ地区住民の期待も大きい。
平井排水センター
この排水センターは岡山市公共下水道事業による旭東地区(三勲小以南の門田、網浜地区)245haの雨水排除、及び建設省の内水排除事業による倉安川水系の雨水排除を行い、浸水地区の解消を目的とした共同施設である。建物8000㎡(2階)工費54億円。施設の概要は1万2700㎡の敷地内に1000㎜~1500㎜のポンプ8台が据付けられ、1秒間の最大排水能力は31.35㎥である。倉安川と地蔵川及び県道岡山ー玉野線に埋設されているパイプから集水し、新たに造られた吐水路により、木材市場上手の土手下を通り旭川へ放流される。昭和51年11月に着工し、同54年10月から運転が開始されている。これにより従来大雨の時は用水沿い道路や住宅が冠水していたが、それが解消された
多くの近隣住民、地権者の協力で完成したものであるが、なお用水路の護岸・整備が望まれている。
老人ホーム
有楽園(養護老人ホーム) 大正14年11月4日窮民救護のため岡山市八番町5番地に市立救護所として設けられたのがはじめで、昭和4年4月救護法の制定に基づいて同6年12月北方679番地の旧御野小学校跡に移転し、同7年3月23日救護施設として認可され友楽園と改称した。昭和23年6月養老施設として認可されたが建物の老朽化がひどいため、昭和31年2月から昭和32年12月21日までの間3期に分けて岡山市平井601(旧三万坪)に新築し、移転した。(移転は昭和32年6月9日第2期工事終了後)
本園の敷地総面積は1700坪、総建坪550坪で、建物はコンクリートブロック平家建、第1棟から第4棟まであり、総工費2800万円で、収容人員150名、居室は2畳に1人の割合で、8畳室21、夫婦者には4畳半の室が8室となっている。
入園者は、生活保護法による満65才以上の心身上または経済的な理由などから独立して生活することが困難な者を対称としており、福祉事務所から委託された者である。
本園も築後既に30有余年、老朽化が進み、改築の時期を迎えているようである。
平井サンホーム(軽費老人ホーム) 平井7丁目川東町内の一角、コミュニティ広場に隣接して、昭和55年3月、県下初の軽費老人ホーム(B型)″平井サンホーム″が完成した。この施設は老人福祉法(昭和38年7月11日制定)による老人ホームの1タイプで60才以上の健康者で、必要経費の一部を負担できる者を対称としている。

平井サンホーム

約3800㎡の敷地に鉄筋2階建て延1700㎡の近代的な建物で約2億8500万円で建設され、50の個室の他浴室、集会室、娯楽室、医務室などを備えている。個室は6畳と台所・
トイレで自炊もでき、また仕事に行くこともできるという独身老人の公営アパートといえる。開設以来、殆ど満室で元気なお年寄がそれぞれ自分の生活を楽しんでおられる
コミュニティハウス(昭和55年3月~12月)
昭和49年に発足した平井学区コミュニティ協議会は当初は小学校の教室を共用したり、仮設のプレハブで活動を始めたが、何かと制約が多く十分な効果を挙げることができなかった。しかし、当時の役員はじめ学区の皆さんの熱意により、活動は年を追うごとに活発となり、遂に市の認めるところとなり、 発足6年目にして待望のコミュニティハウス建設が具体化した。
建築は昭和55年3月末から始められ、総工費2億4620万円、平井幼稚園との複合施設として鉄筋2階建、建坪149坪、大会議室、会議室、実習室、和室、事務室等を備えた立派なもので、昭和55年末に完成した。これにより従来の不便は解消され、以降、会員の研修、交流の場として効果的に活用され今日に至っている。
NTT三蟠電話交換所

三蟠電話交換所

岡山市湊の南東、倉田との境界近くにNTT三蟠電話交換所がある。操山の南、旭川と百間川にはさまれた平井、操南、富山、旭操の地域を担当する岡山電話交換局の分局である。この地域の局番であった岡山77局の電話加入希望者が急増した頃、昭和40年5月に開局した。約3000㎡の敷地に屋上に電波搭を備えた白壁の建物は人目につきやすい。この交換所では現在岡山市内277局276局274局の交換を機械が自動的に行っているので通常無人である。その電話回線の数は、平成6年1月末で1万9320回線、1日の送受信数は発信8~9万回・受信6~7万回もあり、その接続交換が自動化されているとはいえ、年々増加が著しいという。
岡山市水道局中央第2営業所
この営業所は四軒屋地内倉安川沿い山陽学園大学前バス停の南に新しく建てられたもので平成4年10月12日から営業を開始した。担当エリアは旭川、百間川、山陽本線、国道2号線バイパスに囲まれる地域である。スタッフは所長以下35人体制で、主として水についての諸知識の啓蒙、サービスをはじめ上水道の維持管理に関することや、メーターの点検・水道料金の徴収などに取り組んでいる。従来は中央営業所で一括していたが、この新しい営業所の移転を機に、市水道局では、より地域に密着したサービスを目ざしているという。

(つづく)

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