ヒロシマの報道 2

投稿日:2023年5月27日

2)
UPのやり方を間違えたか、投稿が消えたので、書き直してみました。

現在のヒロシマ報道と論評は、アメリカの責任への冷静な分析を回避して”平和への祈念”という標語に目を向けすぎるように思える。
しかしこれはアメリカの核による国土の防衛を大前提とする日本政府とその背後の国民の意思の投影の結果であるから仕方がないし、広島の市民グループが求める「アメリカ大統領は原爆資料館で反省し、核の廃絶を誓え」という意見にはボタンの掛け違いを感じる。
「アメリカは反省して謝罪しろ」という意見は、アメリカ国家を法人と見なし、その過去の責任は国家が続く限り永遠に続くという考えだが、これは責任は個人に伴うのみという民主主義とは相容れない。
日本と中国、韓国人との関係において父祖の責任を子や孫の我々が負うことがないように、我々も過去の責任を現在のアメリカ人に問うべきではないと思う。

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