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文化財(指定外)

福渡エリア内にある、旧建部町時代文化財に指定されていたもの及び指定外でも重要と認められたものです。

名 称 内  容

妙福寺の番神堂と鐘楼

妙福寺の番神堂と鐘楼

上下二層になった異形の楼門式鐘楼で、備前金川玉松城主の松田左近入道道貫の建立と伝えられる。建築年代については棟札も古文書もないので正確を期し難いが、文化文政(1804~1829)の頃修理されたものであると思われ、また、昭和53年改築された。〔旧建部町指定重要文化財〕

八幡神社の随神門

八幡神社の随神門

切妻造、八脚門、本瓦葺。雲と波を主流とした彫刻を随所に配し、近郊に見られない立派な随神門である。棟札によると、石見国の大工笠井亀吉が棟梁となり、一族新吉、圓兵衛、勇兵衛等を引き連れて嘉永3年(1850)にこれを竣工している。〔旧建部町指定重要文化財〕

芭蕉の句碑

芭蕉の句碑

芭蕉の百年忌に当たる寛政5年(1793)には各地に芭蕉翁、追悼の句碑が建てられた。この碑はその年に土地の俳人五尺庵が建立したもので桜塚とも翁塚ともいわれている。碑には芭蕉が元禄3年(1690)に吟じたと言われている句が刻まれている。「さまざまのこと 思ひ出す 桜かな」

黒船の墓

黒船の墓

福渡の石引の峠にさしかかる手前に「黒船之墓」と筆太に刻んだ約1mの墓碑がある。碑の肩に慶応3年11月25日と刻んである。これは福渡の宿場に流れてきた「黒船」というバクチ打ちの墓で、悪らつさを発揮し、恐れられ、また忌まわしみ嫌われ、ついには騙し打ちにあい殺された。それ以後この土地に黒船の霊魂が現れ、不祥事が絶えないので供養されたらしく、この悲話は土地の古老の間に語り伝えられている。

日船上人の墓

日船上人の墓

不受布施派の高僧で、この地方に教えを伝えたといわれる日船上人の墓。墓碑には「両寺中輿之祖日船聖人覚位明暦四戊戌年四月十二日化」と刻まれている。また、平成26年(2014)に改墓された。

筆塚

筆塚

化城院日城上人の碑をまつる堂の一角にあり、筆の形をしている。正面には「一葉軒」「妙法 岸平湖墓」面から背後にかけて「瀬にならで渕は野となる落葉かな」と俳句を刻み、「明和二乙酉十月十七日」と読める。このあたりは俳句熱の盛んだったところで、文筆に優れた師匠を後世まで記念するため建てられたのではないかと伝えられる。

化城院日城上人の碑

化城院日城上人の碑

福渡の山根に化城院という堂がある。中には、かつてこの地に滞在していた日城上人の碑が祀られている。碑文によると上人は現在の岡山市御津に生まれ、金川の松田氏の建立した妙国寺の住職をつとめ元和4年(1618)に没したらしい。また、化城院は霊験あらたかで殊に雨乞いや雷除けを祈るために遠方からの参者もある。
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