銅鐸は弥生時代にわが国で造られた青銅器の一種。その用途は明らかではないが、共同体の祭祀に関係した宗教的儀式に用いられていたと考えられている。県内で出土した銅鐸は25例が知られている。そのうちの3個が百枝月と1個が草ヶ部から出土している。
昭和26年百枝月西畑円福寺裏山出土の銅鐸は推定身高20センチ程で、身の上半部の一部分と考えられる破片に連続渦門文と並列重弧文帯があり、その間帯に一頭の鹿の絵が現れている。これによって、古式に属する銅鐸であることが判明している。
草ヶ部小廻山出土の銅鐸は昭和40年開墾中ブルドーザーにかかり縦に真二つに切断された。総高54センチ、幅は切断されて正確を欠くが底部約31センチで類例の多い後期の銅鐸である。