今週の「つぐらの顔」は、・・・
                     津倉稲荷堂と妙應寺(津倉分院)の住職として多忙な日々を過ごされる
      
      太田智啓(ちけい)さんです。
 太田住職は和気にある妙應寺の住職です。子供の頃はスポーツ大好き少年で中学生までは野球をされていましたが肩を壊し断念。高校時代はサッカーに没頭と子供の頃からスポーツが大好きで、今でもゴルフ(忙しくて中々いけないが)をされ、スポーツ観戦は大好きと(ジャンルを問わず)話される。

 立正大学3年の時から蒲田(東京)のお寺で約5年半修行をされました。非常に厳しい修行であり当時はつらいと感じた事もあったが、今、振り返ると実践にて修行をしたことが今の自分の基礎を築いてくれたと感謝の気持ちでいっぱいと話される。

 平成4年に和気のお寺に戻られ、平成2411月に和気妙應寺にて法燈継承式があり、28世太田智光上人が退任され、第29世太田智啓上人が法燈を継承されました。

 これからの宗教界も核家族化や少子化影響で、檀家制度が変化するだろう。そうした中でお寺と近隣住民との関わり方が重要になる新時代が来るのではないか・・・とおっしゃる太田智啓さんです。


太田智啓さん(昭和42年生まれ

*津倉の妙應寺は和気の別院(飛び地)

      津倉町内会 3班15組在住
太田さんに伺いました

(自分の理念)
 
今に徹する…高校時代の先生の言葉で今、何をする時か?    その時々を一生懸命に!

 ※同じ意味で、「不借身命」…貴乃花が横綱昇進伝達式で
  の口上で有名である。
   (仏教語で修行に身を捧げる心構えや態度)

 今もこの言葉を大事にしている・・・と太田さんの瞳が輝く!


現在、生き甲斐を感じていること)  
   
 子ども達の成長。(お子さん二人)できれば子供に
 お寺を継承してもらいたい気持ちは
あるが強制は
 しない

        

 (趣 味)
  ・スポーツ観戦・・・(忙しいせいで、するスポーツから観るへ)

 
旅行・・・仕事柄、長期間の留守が出来ない
    せめて、温泉地でゆっくりとした時間を過ごしたい。

    出来れば、ゆったりと海外旅行をしてみたい・・・とも。
津倉稲荷堂
 古くは、岡山城主の意向で東西南北に造られた稲荷堂
 (蝋燭の明り取り)の一つ(西堂)らしい。
 この流れを汲んで津倉町内会が氏神様として管理をし
 ていた時代もあったという。(建立碑が境内に残る)

 
(注)当時、お堂を管理して下さっていた人達・・・谷合氏(地主)、
   岡崎氏→玉村上人→楠田氏

昭和30年代頃、稲荷堂の夏祭りは賑わったという。
 大勢の参拝者と福引などでごった返し、境内には夜店
 も出店して町内の一大イベントだった。


 その後、妙應寺津倉分院が出来たのを機に稲荷堂の
 管理も太田住職が引き継いで下さった。。

現在の稲荷堂 

夏祭りの参拝者で賑わう参道

昭和30年代の夏祭り参道

 太田さんにインタビュー

・津倉町の素晴らしいところ

 
人を含めた生活環境が素晴しく良く、色んな町内
 を知っているがこれほど素晴らしい
町内はあま
 り見受けられないと感嘆される。
 (児童の登校見守り、川清掃、文化イベントなど)

 ただ、色々世話をされてる方が限定されて
おり
 できれば若い世代(30代、40代の男性)の方々
 にも積極的に町内の行事に参加いた
だければ
 もっと良い町内になるのではないか・・・との思い
 も話された。

・これから重点的に取組みたい活動

 地域に密着したお寺にしていきたい。
*いつでも気軽に住職と話し合いができる

 本堂を開放して子供達だけでなく町内の皆さん
 全員で楽しんでいただける
寺小屋のような事を
 開催していきたいと目を輝かせて話をされる。

*津倉でも昔(昭和30年代)夏祭りが開かれ、参道
 に子供達の絵を飾っていた

現在の夏祭り風景

 

夏祭りの「読誦会」

夏祭り会場では、祈祷や放蕩が行なわれる

津倉稲荷(妙應寺…日蓮宗)の紹介へリンク

                                                       
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