雄 町 米 ものがたり
お酒を造る米「雄町」の話

竜之口学区四御神には、昭和30年頃まで、酒米として作られていた特産雄町米の碑が建てられている。そこで、このお米の紹介を致します。











竜之口学区四御神
次の文は土田在住 大森 信章氏の平成8年4月1日付け、たつのくち新聞より抜粋させていただきました。



「わたしゃ備前の岡山育ち、米のなる木をまだ知らぬ」

 この古謡は、岡山藩の池田光政が開田治水で禄高32万石にも関わらず、米がたくさん取れすぎたことを、他藩に気兼ねして逆宣伝し、藩の安泰を図り、庶民にうたわせたものといわれています。
 池田光政により土地改良や稲作技術の指導がなされたと伝えられていますが、当時の稲の品種改良は土地の老農達の手によって行われてきました。酒米として全国的に名高い「雄町」米は雄町の篤農家岸本甚造によって、作りだされました。
 私たちの住む竜之口地区に隣接している 「雄町の冷泉」 に近い岸本家の門前に記念碑(1940年)があります。
 碑文には、「岸本甚造は安政6年の秋、伯耆大山に参詣する途中、路傍の水田に非常に大きな穂をつけた稲を見つけ、その中の2穂を持ち帰り、品種改良を重ねて、苦心惨憺の末、慶応2年に「雄町」を育成しました。」とあります。
 雄町米は、明治13年頃より飯用として岡山県下に広く栽培されるようになり、岡山県に稲の奨励品種制度が誕生すると、直ちにその第1号として採用されました。また西日本一帯で酒米として栽培され、有名な酒米主力品種山田錦などの親としても、育成されてきました。






 竜之口地区で現在もさかんに栽培され、特産米となっています。成熟期は10月下旬頃、米粒は大きく豊満で、心白の発現がよく、酒米としての品質は優秀です。雄町の取引価格は最も高いといわれるコシヒカリの1.5倍1俵約3万円です。特定名称酒原料として需要がますます拡大し、魅力の高いお米として注目される稲(お米)となっています。
雄町の冷泉
(発祥の地)
アクアガーデン
水汲み場
(現在)