四御神のお地蔵さま
引き継がれていくきずな
お地蔵さんは花が供えられ、赤いよだれ掛けをつけていらしゃる。あたたかい空気は人々のふかい願いと暮らしの重さに支えられている。お地蔵さんを見かけると心の中でそっと手を合わせて頭を下げる。

お地蔵さんと呼ばれる、地蔵菩薩は広く親しまれている。地蔵菩薩はお釈迦様が入滅後、無仏(むぶつ)の世を弥勒菩薩(みろくぼさつ)が現れるまで人々を救う菩薩。

伝説によれば,地蔵菩薩は、親より先になくなった子供が賽(さい)の河原で苦しんでいるのを救うという。子供の墓に地蔵を刻む風習となり、子供たちがお地蔵さんにまいり、加護を祈る習わしになっている。

お地蔵さんは、六道(天道・人間道・修羅道・畜生道・飢餓道・地獄道)に堕ちた人を救う守護神として現世と来世の境で死者を守ると言う。道祖神と結びつき村の入口、峠、迷いやすい所に立てられている。

この四御神のお地蔵さんは、大神神社の大鳥居から北へ向かい、神社の東の道辻に立つ。人々に親しまれ、町内のお年寄りが赤いよだれ掛け作り続けてきた。
大神神社 
大鳥居
東雄町の道端に
座すお地蔵さん
交通安全の願い
この地蔵堂は正面183,5cm奥行141.5cmの神明造り。内には地蔵さんが四体あり、1番大きな地蔵さんは台座におられる。その台座の、正面(西面)『為牛馬女全』南面『天明七丁(1787)北面『九月廿四日』とある。堂正面の「雲形」の裏面に『岡山市下、棟梁尾坂四郎、弟子成田高男』と記されている。 堂内には再建以前の「雲形」が残され『大工、四御神村、安井甚太郎』と刻まれている。また地蔵堂再建寄付御芳名板には94名の名が記され、『昭和六一(1986)年十二月吉日、奉再建地蔵堂』とある。賽銭箱の裏面『未之歳男五十七歳、昭和六十二(1987)年一月吉日』の文字がある。

地蔵盆は8月24日。午前8時に浄土寺のお坊さんによる読経、午後7時から地蔵堂の前で盆踊りをする。 24日の前日には提灯が飾られ、花や果物・菓子が供えられる。その年の初盆を迎える家が提灯やお賽銭を出す慣わしがある。
四御神の安井信夫氏は、「お堂は昭和61(1986 )年に作り変えたが土台は元のまま、明治時代の土台ではないか。」と話される。

平成18年から町内会がお願いして婦人会と子供会の共催で地蔵盆踊りが再開された。子供たちはお祭りのはっぴを着る。婦人会がお接待をする。
踊り手は四御神の子供と親。子供たちが中の輪をつくり、外の輪を親達、近所の人やいつもお参りをしている人達が囲む。中休みを入れて1時間ほど踊り納める。平成19年も百名近くが汗を流した。

唄は『ちびっ子音頭、四御神音頭、炭坑節、備前太鼓唄』の4曲。四御神音頭は、昭52(1977)年9月2日四御神の故西崎隆之助氏が作詩、長岡の故小阪久夫氏が作曲したもの。現在は竜之口学区盆踊り大会の竜之口音頭となり学区で踊り継がれている。
 円い地蔵さん よいやさ やかたにござるよ(四御神音頭より) 
お地蔵さんは子供たちの健やかな成長と家内安全を見守り、人々はお地蔵さんを守り続けていくことだろう。このページ作成にあたっては、四御神町内の方々のご協力に感謝します。

参考文献
『大法輪選書 地蔵さま入門15』大法輪編集部編 大法輪閣発行1984・10・25p.241
『岡山県大百科事典上巻』岡山県大百科事典編集委員会山陽新聞社出版局編 山陽新聞社発行 1980・1・3p.1493