2007年(平成19年)3月28日
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XXIII 遺伝か 環境か

 地球が誕生して46億年、生命が誕生してから35億年です。この間に、地球全体が凍りつくような全球凍結、スーパープルームと呼ばれている地下マグマの大爆発、巨大彗星の衝突などがあり、少なくとも生命は、5回の大絶滅を経験しています。多いときには、全生命の98%が絶滅したといわれています。
 しかし、わずかに生き残った生命が、現在の我々まで、脈々とつながってきました。それを伝えたのが、遺伝子です。遺伝子の突然変異により、生命は多様化し、そして環境に適合したもののみが、生き残ってきました。
 私たちの遺伝子のなかには、生命35億年の歴史が書きこまれています。そのなかには、進化に必要な遺伝子だけでなく、病気の遺伝子もあります。長寿の遺伝子もあります。
 では、高血圧、糖尿病、がんなどの生活習慣病やアルツハイマー病では、遺伝の影響はどの程度あるのでしょうか? 遺伝と環境のどちらの影響が大きいのでしょうか?  
 今回は、遺伝と環境の視点から、病気対策につき考えてみました。

1) 遺伝子とは


 ヒトの細胞のなかには、赤血球を除いて、すべてに核があります。この核のなかに、染色体とよばれている紐状の構造物があります。常染色体が22対、性染色体が1対で、計23対、46本です。
 この染色体は、らせん形に折りたたまれたDNA(デオキシリボ核酸)からなっています。このDNAの働きには二つあります。一つは、生命を子々孫々にまで伝える暗号です。もう一つは、個々の生命において、蛋白質つくるための情報です。
 2004年、ヒト遺伝子のすべてを解読するヒトゲノム計画が、終了しました。その結果、ヒトのDNAを構成する文字(塩基といいます)の数は、約31億個で、そのうち遺伝子として、実際に働いているのは、約5%でした。遺伝子の数としては、3万2千個でした。
 遺伝子の数が意外と少ないのに、驚かれたかもしれません。しかし、1個の遺伝子で、複数の蛋白質をつくることができますので、蛋白質の種類は、10万種類以上にもなります。
 ヒトも、遺伝子の数では、他の動物と大差ないのです。また全DNAの3分の1は、ウイルスの名残ということもわかってきました。人間には、進化の途中で、いろいろなウイルスがはいりこんでいるのです。
 また、私たちの顔や形は、さまざまですが、DNAの塩基対の並び方の違いは、わずか0.1%に過ぎないといわれています。ただ、軟骨形成不全症(小人症)のように、30億文字のうち、たった1個の塩基の変化でも、病気になることもわかってきました。

2) 遺伝子診断の光と影

 ヒトの遺伝子がすべて解明できれば、病気になりやすい人を、前もって知ることができます。病気の予防や早期発見につながります。また、薬の効きやすい人と効きにくい人、あるいは、副作用のでやすい人とでにくい人などが区別でき、薬の種類や使い方がより適切におこなえます。さらに、遺伝子そのものの異常まで修復できれば、がんを防ぎ、寿命をのばすことができるかもしれません。
 しかし、遺伝子診断の使い方によっては、かえって問題がおきます。
 例えば、出生前診断で、お腹の赤ちゃんが、血友病や筋ジストロフィーなどと診断されたら、どうしますか? それでも生んで、ちゃんと育てますか? 
 また、アメリカで実際にあった話ですが、遺伝子診断で、乳がんにかかる確率が84%、卵巣がんにかかる確率が27%と診断された女性が、前もって両方の乳房と卵巣を切除したという悲劇もおこっています。
 さらに、親子判定で、夫婦であっても、父親が本当の父親ではないという判定がでることがあります。日本では、1%以下だそうですが、アメリカでは、2~6%といわれています。事実を知っているのは、母親だけです。これを、父親に告げるべきかどうか、難しい問題ですよね。
 現在、国内のクリニックなどでおこなわれている遺伝子診断は、一つか二つの遺伝子をみているだけのことが多いようです。ひとつくらい異常があっても、発病するかどうかは、わかりません。いたずらに不安になる必要はないと思います。

3) 性格や知能は遺伝するか

 「性格の悪いのは、親ゆずりだ」あるいは、「兄弟なのに、なんであんなに頭がちがうのだろう」などと、言ったり、聞いたりしたことは、ないでしょうか?
 実は、これは、二つとも正解なのです。
 性格と遺伝の関係は、アメリカでの大規模な双子の研究から、あきらかになりました。その結果、性格は、3分の2が遺伝で、3分の1が環境できまることが、わかりました。
 また、知能と遺伝との関係では、両親と子の知能指数を調べると、多くの場合、子の知能指数は、両親の平均に近い値です。つまり、遺伝の影響が大きいのです。しかし、兄弟の数と、知能指数との関係を調べると、2人兄弟の知能指数が最も高く、兄弟の数が多いと、末弟ほど知能が低い傾向にありました。これは、環境も影響していることを示しています。

4) 生活習慣病と遺伝

高血圧:高血圧に関与している遺伝子の数は、355もあります。例えば、アンギオテンシノーゲンという昇圧物質の遺伝子型には、TT型,TM型,MM型の3種類があります。このうち、TT型とTM型は、塩分に反応して、血圧があがるタイプです。しかし、MM型の人は、塩分に反応しません。
 TT型とTM型の遺伝子型をもつ人が、塩分をとりすぎると、高血圧になりますが、実は98%の人はこのタイプなのです。MM型の人は、2%にすぎませんが、高血圧になっても、塩分制限の効果はありません。薬物療法が主体となります。
 両親が高血圧の場合、その子供が高血圧になる割合は、60%、片親が高血圧の場合は、30%といわれています。
 日本では、戦国時代までは、塩は貴重品でした。上杉謙信が、武田信玄に塩を贈ったという話は、有名です。そういう時代にあっては、少しの塩でも、効率よく体内に蓄えることができた人の方が、生き残りました。つまり、現在の日本人のほとんどは、その生き残った子孫です。
糖尿病:糖尿病に関与する遺伝子の数は、310種類あります。例えば、インスリン遺伝子の活動の低い型、脂肪細胞から分泌されるアヂィポネクチン遺伝子の多型、筋肉でグリコーゲンを合成する酵素の遺伝子の活動の低い型など、さまざまな遺伝子の活動の個人差が、少しずつ積み重なったところに、食べ過ぎ、運動不足などの環境要因が重なって、発病にいたります。
 両親が糖尿病の場合、子供が糖尿病になる可能性は、50%、片親が糖尿病の場合は、14%程度といわれています。
 また、日本人の3人に1人は、エネルギー倹約遺伝子をもっています。つい最近まで、人間は、飢餓状態と隣り合わせの生活をしていました。そういう時には、少しの食料でも脂肪をたくわえることのできる倹約遺伝子をもった人の方が、生き残りました。
 しかし、現在の飽食の時代になると、これが肥満や糖尿病につながってきました。
がん:明らかに遺伝するがんがありますが、ごく一部です。例えば、赤ちゃんの眼にできる網膜芽細胞腫、40歳ころより大腸がんとなる家族性大腸腺腫症、皮膚がんとなる色素性乾皮症などは、遺伝するがんです。
 しかし、その他大部分のがんは、遺伝しません。環境の影響の方が大きいのです。がん遺伝子の活動が活発になり、がん抑制遺伝子の働きが低下し、さらにDNAの傷を修復する酵素の遺伝子が変化するなど、多数の遺伝子の異常が少しずつ重なった時に、がんは発生します。
 核DNAの傷害から、がんが始まるという意味で、がんは遺伝子病ですが、その原因は、たばこ、発がん物質、放射線、活性酸素などの環境側の影響によります。
 ただし、がんによっては、多少の遺伝的要素があります。文部科学省がん特定領域大規模コホート研究によれば、両親のどちらかにがんがある場合、その子供ががんにかかるリスクは、2倍に上昇するといわれています。また、両親のいずれかが胃がんの場合、子供が胃がんになるリスクは2.5倍に、大腸がんでは4倍に、肝臓がんでは5倍に上昇するといわれています。これは、がんの発生には、遺伝的要因だけでなく、親子で共有する環境的要因も関係しているためと考えられています。なお、肺がんでは、親子の発がんリスクに相関は認められませんでした。肺がんでは、タバコの影響など、環境因子の方が圧倒的に大きいのです。
 また、日本における30年間の病理解剖報告によれば、がんは50~60歳代の65~70%にみられ、その後やや減少して、90歳以上では40%だったそうです。年齢とともに、がんは増えますが、がんの発生は、中高年がピークです。
アルツハイマー病:家族性の若年型アルツハイマー病は、遺伝する病気です。しかし、高齢者に発症するアルツハイマー病には、遺伝性はあまりないといわれています。最近、血液中で、脂質を輸送しているアポリポ蛋白Eの遺伝子で、E4という遺伝子型をもっている人が、アルツハイマー病になりやすいということがわかってきました。E4/E4という型をもつ人は、75歳までに80%が発病します。E4を一つもつ人は、50%、全く持たない人は、20%の発症率です。
 こういった遺伝因子に加えて、加齢、不活発な生活、生活環境の変化(定年、引越し、配偶者の死など)、頭部外傷、アルミニウムの摂取などが重なって、アルツハイマー病が発症します。
 日本人の調査で、知能衰退は、80歳で19%、90歳で40%、100歳では91%にみられたという報告があります。あのアインシュタインでさえ、晩年には、自分の家がわからず、大学のなかで、人に尋ねていたそうです。長生きすればするほど、みんなアルツハイマー病になっても不思議ではありません。

5) 遺伝子のねがい

 こうしてみると、高血圧や糖尿病では、遺伝の影響はかなり大きいといわねばなりません。進化という面からみると、今の人間と1万年前の人間とは、遺伝子的には、同一です。昔は、食べるものがなかったのです。飢餓や塩分不足にも耐える遺伝子をもった人が、生き残って、現在の私たちができあがりました。しかし、現在は、環境の方が大きく変わりました。食料があふれる時代になりました。その結果、人間の遺伝子が現実に合わなくなったのです。これが生活習慣病の原因です。
 多数の遺伝子異常の積み重ねに、塩分のとりすぎ、食べすぎ、運動不足、肥満、ストレスなどの悪い生活習慣が、積み重なって、生活習慣病は発症します。とくに、メタボリック・シンドロームで指摘されている内臓脂肪の蓄積が、その始まりといわれています。
 また、がんやアルツハイマー病は、加齢により発症する病気です。遺伝よりも環境の影響の方が大きいと考えられますが、高齢になれば、大部分の人がかかります。そういう意味では、個体としてのヒト遺伝子の限界を示しています。
 私たちの遺伝子は、今の環境では、病気になるようにできています。まず、これをしっかりと認識しておく必要があります。
 遺伝子を変えることはできません。しかし、環境を変えることはできます。遺伝子に合った生活をすること、これが遺伝子のねがいです。
 ですから、病気にならないようにすることよりも、病気になるのを、できるだけ遅らせることが、現実的な対応となります。病気になった時は、その進行を緩くすることです。多病息災で暮らすことです。そのために、「医療」があり、日々の「養生」があります。
6) ミトコンドリア・イブ

 私たち、ひとりひとりには、二人の親がいます。その親にも、それぞれ二人ずつの親がいます。その計算でいくと、10代前には、1024人、20代前には、なんと100万人にもなります。一世代25年で計算すると、20代前は、わずか500年前です。
 しかし、実際には、親の数は、重なり合っているので、こんな膨大な数にはなりません。われわれ人類(ホモ・サピエンス)が誕生したのは、今から20万年前です。現在、地球上には、69億の人が暮らしています。人類誕生から現在まで、膨大な数の人類がいたように思われますが、実際にいたのは500~1000億人程度だったそうです。現時点で、全人類の10分の1の人が生きています。つまり、現在は、人口爆発の時代です。
 私たちの細胞のなかには、ミトコンドリアとよばれているエネルギーをつくる小器官があります。ミトコンドリアは、すべて卵子から由来します。男の子でも、ミトコンドリアは、すべて母親由来です。
 このミトコンドリアのなかにも、少量のDNAが含まれています。塩基の数は、1万数千個程度ですが、変化する頻度が早く、また、その割合も判っています。ミトコンドリアDNAを比較分析すると、女系の系統がわかります。各民族での分析の結果、現人類の祖先は、20万年前、アフリカに住んでいた一人の女性に行き当たりました。この女性を「ミトコンドリア・イブ」と呼んでいます。
 彼女が、人類共通の祖先です。そして、現在の世界中の人々は、みんなその子孫で、みんな親戚です。でも実際には、一人ではなく、数百人程度の集団であっただろうと推測されています。
 しかし、サルなどと比較して、人類の遺伝子の多様性は、わずかです。人類は、遺伝子的には、きわめて均一な集団です。みんなが同じ性質をもっていると、環境が劇的に変わった時や、何らかの伝染病が流行った時などは、全滅する危険性があります。
 人類は、環境の変化に弱い生き物といえます。地球温暖化、ダイオキシン汚染、鳥インフルエンザなどが、気になります。

7) 伊勢神宮

 人間は、昔から、自分の存在を、未来永劫に残したいという願いがありました。エジプトでは、紀元前2700年から、石でピラミッドをつくりました。イギリスには、紀元前2500年頃にストーン・ヘンジがつくられました。しかし、たとえ頑丈な石で作ったとしても、やがては、風化してしまうことは、歴史が証明しています。
 しかし、日本の伊勢神宮は、20年毎に、正殿とともに御装束(正殿の内外を奉飾する御料、計1085点)や神宝(調度品、計491点)を、古いものと全く同じに、新しく作りかえています。これを、神宮式年遷宮といい、もう1300年間も、途絶えることなく続いています。だから、伊勢神宮は、弥生時代の高床式穀倉の形式を、今に伝えることができ、また、いつも若々しいのです。この方法だと、古代日本人のおおいなる知恵や伝統工芸の技術が、次の世代へと確実に伝わっていきます。
 この伊勢神宮の式年遷宮は、まさに親から子へ、子から孫へと伝わる遺伝子の仕組みと同じだと思いませんか? 私たちは、遠い過去から脈々と受け継がれてきた遺伝子によって、今を生かされています。今が、私たちが生きている順番です。この円環を次の世代へとつなげていかねばなりません。
 私たちの遺伝子は、病気になるようにできています。そして、個人個人の生命には、限りがあります。しかし、遺伝子のみは、唯一「不老不死」です。未来永劫にわたって、伝わっていきます。