2006年(平成18年)12月28日
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XX 痛みをとる

 「痛いのは、生きている証拠」といった患者さんがありました。年とともに、身体のあちこちが痛んできます。そう、生きている間は、痛みと付き合っていかねばならないのです。
 でも、痛いと行動が制限されます。仕事や家事が、思うようにできなくなります。また、うつ状態になったり、いらいらしたり、つい、人にあたったりします。これは、誰にでも、思い当たることがあると思います。
 できれば、痛みがない方が、いいにきまっています。でも、どうしても痛みがとれないとしたら、どうしたらいいのでしょうか?
 今回は、痛みとのつきあい方につき、考えてみました。

1) 急性痛と慢性痛



 急性痛とは、手や足を切ったり、打ったり、火傷した時などに生ずる痛みで、痛みの原因がなくなれば、消えてしまうものです。
 先天性無痛症という全く痛みを感じない人がいます。うらやましいようですが、実は短命なのです。自分が怪我や火傷したことに気づかないため、知らず知らずのうちに、重症化するのです。
 急性痛は、生命を守るための、身体からのメッセージです。これは、ちゃんと治療すれば、必ず治る痛みです。
 これに対して、痛みの原因がなくなっても、6ヶ月以上つづく痛みを慢性痛といいます。
 慢性痛には、患者さんの性格、心理状態、生活歴などが複雑にかかわっており、難治性のことも多々あります。
 慢性痛とは、場合によっては、一生つきあっていく覚悟が必要です。

2) 痛みの感じ方

 痛みの感じ方は、人によりまちまちです。
 お年寄りと若い人では、若い人ほど痛がりです。男と女では、女の方が痛がりです。ビジネスマンと農業・漁業従事者では、ビジネスマンの方が痛がりです。日本人とアメリカ人では、アメリカ人の方が痛がりです。
 一日のうちでは、午前中は痛みの感受性は低く、午後6時ころより感受性が高くなり、夜中に最高となります。これは、年齢や性別に、関係ありません。夜中に、痛くて、がまんできなくなり、病院にかけこむということになります。
 いかに痛みが、心理的な影響をうけているかということです。
 また、痛みは、気象の影響もうけます。気圧が低くなると、持病の痛みがつよくなります。とくに、これは脳卒中になった患者さんが、よくいわれます。雨が降りそうになると痛むのです。
 鶴見和子さん(社会学者)も、脳梗塞になった時に、「足のしびれ厳しさつのり台風の予兆早くも足は受信す」と歌っています。病気になったことで、健康な時にはわからなかった「自然と人間との共生」が、体でわかるようになったそうです。
 また、温度が下がると、痛みはつよくなります。湿度は上がると、痛みがつよくなります。

3) 痛みの表現

 アメリカのナバホ・インデアンには、「痛い」という表現はないそうです。しかし、世界中には、70以上もの痛みの表現があります。
 それらには、感覚的表現(刺すような、打つような)、情動的表現(恐ろしい、冷酷な)および評価的表現(不愉快な、耐えられない)などがあります。
 今まで、患者さんから聞いた痛みのなかで、一番痛そうなのは、「突然、棍棒で頭をなぐられたような」(クモ膜下出血の患者さん)、「キリで心臓をギリギリと突き刺されたような」(心筋梗塞の患者さん)、「ハンマーで胸をなぐられたような」(心筋梗塞の患者さん)などでした。
 また、胆石・尿管結石、胃十二指腸潰瘍の穿孔、腸閉塞、急性膵炎などの急性腹症、神経痛、ギックリ腰、骨折などの痛みも激烈です。
 痛みが強いときには、ただちに病院へ行ってください。

4) 痛みのメカニズム

 痛みの刺激は、末梢神経から脊髄を通って脳へはいります。足の先の痛みであっても、痛みを感じているのは大脳です。痛み刺激は、二種類の神経によって伝わります。その伝達スピードは、速い神経では、毎秒12~30メートル、遅い神経では、毎秒0.5~2メートルです。従って、足に怪我をした場合、最初に鋭い痛みがきて、その後鈍い痛みが数分つづきます。
 また、痛み刺激は視床(脳の内部)を通過した後、頭頂葉の体性感覚野(痛みの位置やつよさを感じる)、大脳辺縁系(痛みに不快感などを感じる)および前頭葉(痛みに伴った思考や判断をする)へ伝わっていきます。
 ですから、痛みの意識は、過去の経験、感情、思考などが、複雑に絡み合ったものとなります。

5) 痛みは冷やすか温めるか

 急性痛は冷やす、慢性痛は温めるのが原則です。
 打撲や火傷などの急性期には、局所は血管が拡張し、腫れています。血流が増えると、どんどん腫れてきます。炎症性物質も増えてきます。こういう時には、冷やすのが一番です。通常は、冷やすのは、2~3日以内です。
 慢性の痛みの場合は、患部の血流は悪く、筋肉も硬くなっています。こういう時には、温めるのが効果的です。血流が良くなり、筋肉も柔らかくなります。
 頭痛は、冷やしても、温めてもどちらでもかまいません。気持ちのいい方を試して下さい。
 内臓の痛みは、どちらもしない方が無難です。

6) 痛みへ注意を集中しない

 患者さんに注射をした時に、「今日の注射はちっとも痛くなかった」といわれる事があります。これは、針を刺す時に、皮膚をギュとつねっているからです。つねられた痛みに注意がむくと、注射の痛みを忘れているのです。注射が上手な医者(看護師さん)なんて、種をあかせば、こんなものです。
 痛みに注意を向けると、痛みはよりつよくなります。逆に、他のことに意識を向けると、痛みはかるくなります。
 タゴール(インドの詩人)は、夜中に足をサソリに刺された時に、激痛におそわれました。しかし、彼は、家人を起こしたくないために、じっと耐えていました。その時、「苦しんでいるのは、自分の肉体であって、自分ではない」と、意識を肉体から切り離そうと試みた結果、痛みは完全に止まったそうです。肉体に注意を集中すると、いけないのです。
 痛みとは、
真正面から対決しない方がいいのです。

7) 痛みへの対処

 備前市で開業されている駒澤 勝先生(小児科医、仏教研究家)から伺った話です。昔、先生が病院に勤めておられた頃、小児がんで多くの子供が亡くなっていました。ある時、白血病の子供が亡くなる直前に、お母さんが自分の血液を子供に輸血してくれと頼んできました。子供が死ぬ時に、自分も一緒に死んでやるよというお母さんの気持ちです。先生は、泣きながら輸血されたそうです。
 駒澤先生によれば、病気を治すのに、対治と同治があるそうです。
 例えば、痛みをとるのに、薬をつかったり、ハリやマッサージなどで治療するのが対治です。これが、一般的な治療法です。
 これに対して、さき程のお母さんの例は、同治です。また、子供が転んで泣いている時に、お母さんが「おうおう、痛いのお、痛いのお」といって一緒になって痛がってやるのも同治です。子供は、お母さんの腕のなかで、不思議と痛みが取れていきます。みんな、そういう思い出をもっていますよね。
 慢性痛の人は、家族にも理解されずに悩んでいることがよくあります。そんな時に、周りの人がその痛みを認めてあげるだけで、よくなります。これも同治です。
 その他、痛みに効果があるのは

なでる、さする:痛み刺激が、末梢神経から脊髄にはいる部で、痛み刺激のつよさを抑制します。簡単で、とても有効な方法です。
精油の香り:脳のなかにも、痛みの下行抑制系と呼ばれている痛みを抑える働きがあります。いい香りを嗅ぐと、痛みは軽くなります。痛みを抑えるためにバジル、鎮静目的でラベンダー、筋肉の張りをとるためにプチグレンなどが、用いられています。
お風呂:温める効果とリラックスできる効果があります。
お酒:血流を良くする効果と軽い麻酔作用があります。
運動:実験的に、15分のジョッギングが、痛覚閾値(痛みを感じる最小限のつよさ)を30%上昇させます。

8) 痛みとともに

 徒然草のなかで、吉田兼好は、「友とするに悪(わろ)き者、七つあり」として、その一つに「病なく、身強き人」をあげています。痛みや病気を経験したことのない人は、他人の痛みがわからないものです。
 世の中は、若くて元気な人ばかりではありません。お年寄りや子供もいる、病人や障害をもった人もいる、痛みにじっと耐えている人もいる、いろんな人がいるのが本当に健全な社会です。
 痛みは、他人と共感できる最も身近な出来事です。がまんできる程度であれば、「生活の彩り」のひとつとして、痛みをもったまま暮らしていく。それが、人間社会における潤滑剤となり、かえって人間関係がうまくいくのではないかと思います。
 最近読んだ本で、感激したのは、岩井寛(精神科医)著「森田療法」です。この本のすごいのは、著者が末期がんで、目もみえなくなり、全身の痛みに耐えながら、口述筆記したものだからです。まさに、森田療法の真髄である「あるがまま」の現実を受け入れ、痛みを痛みとして、そのままに、そしてより良く生きるために、とった行動が本を書くということでした。きっと、本を書いている間は、痛みは少し軽くなっていたことでしょう。
 痛みのなかに、痛みをとおして、人生を肯定的に生きた人がいたのです。

9) エミリー・ディキンソンの詩

 エミリー・ディキンソンは、19世紀のアメリカの女性詩人で、痛みに関する詩を多く残しています。家庭のなかで、社会のなかで、あるいは自然のなかで、痛み・苦しんでいるものがあれば、そっと手をさしのべてあげる。そういう何気ない行為のなかに、人間の確かな存在感を感じている。そういった詩です。

 ひとつの心が壊れるのをとめられるなら
 わたしの人生だって無駄ではないだろう
 一つのいのちの痛みを癒せるなら
 一つの苦しみを静められるなら
 一羽の弱ったコマツグミを
 もう一ど巣に戻してやれるなら
 わたしの人生だって無駄ではないだろう