2006年(平成18年)9月28日
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XVII  疲れをとる

 “疲れを知らない子供のように 時が二人を追い越して行く” という歌(シクラメンのかほり)があります。子供から、大人になるうちに、いつのまにか、みんな疲れがたまっています。
 統計的には、日本人の60%は、常に疲れを感じており、そのうち37%の人は、疲労感が6ヶ月以上続いています。
 「疲れでしょうね」と診断すると、患者さんは妙に納得されます。「ああ、やっぱり私は疲れていたんだ」となぜか安心されます。
 しかし、「疲れ」をほっておくと、本当の病気になることがあります。
 今回は、疲れ対策につき、考えてみました。

1) 病気による疲労感


 だるい、しんどいなどの症状は、いろいろな病気でみられます。特に、熱や下痢がつよい時には、疲労感が高度です。その他、肝炎、肝硬変、心不全、腎不全、呼吸不全、糖尿病、低血圧、貧血、甲状腺機能低下症、うつ病、不眠症などでもよくみられます。
 また、疲れている時には、免疫力が低下しています。かぜをひいたり、こじらせて肺炎になりやすくなります。
 また、疲れると、頭痛、ヘルペス、膀胱炎、蕁麻疹などの病気がでることもあります。
 疲れがつづく時には、病院を受診して下さい。
 今回は、病気以外の一般的な疲れについてのお話です。
2) 男の疲れ、女の疲れ

 ストレス、運動不足、不眠、低血圧、紫外線などが疲れの危険因子です。
 男が「疲れたー」という時は、大体仕事疲れです。「過労死 karoshi」という言葉は、今や「tunami」とならんで、世界語となりました。男は時には、命をかけて仕事をしているのです。しかし、度が過ぎると、うつ病、自殺、過労死となります。
 男に比べ女のほうが、疲れの訴えが1.5倍多いというデータがあります。女の疲れは、育児疲れ、家事疲れ、介護疲れなどです。いずれも身近な人間相手の疲れです。仕事で疲れた時も、たいてい人間関係のストレスが多いようです。
 若いお母さんは、夜もろくに寝ずに、赤ちゃんの世話をしています。でも赤ちゃんは、日々に成長します。お母さんの表情は、疲れていても晴れやかです。
 中年すぎにやってくる家事疲れは、「主人の食事を毎日つくらなければ、どれだけ楽かな」と言われた患者さんがありました。疲れというよりも、生活の不満です。
 同じ頃にやってくる老親の介護疲れは、大変です。これが続くと、かなり深刻な結果をもたらします。これは、次の項でふれます。

3) 介護疲れ

 いろいろな患者さんを診察していますと、それぞれの家庭で、いろいろな問題をかかえているのがわかります。
 お嫁さんや娘さんがお年寄りの介護者の場合、家庭により、介護状態はまさに千差万別です。
 介護疲れがたまってくると・・・。
 食事だけ、お年寄りの部屋へ運ぶが、その他はいっさい面倒みないお嫁さん。
 お風呂やおむつ交換などは、すべてヘルパーさんにしてもらう娘さん。
 元気なうちは、仲良く暮らしていても、お年寄りの手がかかるようになると、とたんに入院させてしまったお嫁さん。
 親に家を建ててもらったり、財産を分けてもらうと、とたんに施設へ預けてしまった子供たち。
 腕や足に沢山の内出血のあるお年寄り(たたかれたり、つねられたりした痕です)。
 介護の現場には、当事者でないとわからない苦労が一杯あります。周りの人が、理解してあげないと、介護疲れの影響は深刻です。とくに、お年寄りの介護を、奥さんにまかせっ放しで、何も手伝わないご主人のいる家庭は、問題が大きいようです。
 「君看よや 双眼の色 語らざれば 憂いなきに似たり」という言葉があります。お年寄りの心理は、たいてい若い人に遠慮しています。迷惑をかけたくないと思っています。不安や悩みも一杯ですが、自分の思いをほとんど語りません。
 「子供に迷惑かけたくないから、老人ホームへ入ることにした」と一言、ぽつりと語ってくれたお年寄りの眼に、深い憂愁を感じたことがありました。お年寄りは、眼で語っているのです。
 でもなかには、兄弟が誰も手伝ってくれなくても、一人で最後まで親の介護をされた娘さんもありました。
 本田桂子さん(料理研究家)は、アルツハイマー病になった父親丹羽文雄さん(昭和の文豪)の介護を11年も続けていましたが、だんだんと父親が慈愛に満ちた仏さまのように見えてきたといっています。
 何が、こんな差を生むのでしょうか? 
 介護がいつまで続くかわからないと思うと、介護がつらくなります。親の寿命は有限です。「あと半年くらいでしょうかね」と、こちらがいうと、それならもう少し元気を出そうかということもあります。
 それにひきかえ、いわゆる老老介護は、見事です。おばあさんが、おじいさんの面倒をみていることが多いのですが、逆の場合も結構あります。
 どちらであっても、「疲れた、疲れた」と口にだしても、決して最後まで介護を放棄しません。足をなでたり、背中をさすったりと、時には、介護を楽しみ、時には、介護が生きがいになっているようです。
 結婚生活は、20代は「愛」、30代は「努力」、40代は「忍耐」、50代は「あきらめ」、そして60代になって、はじめてお互い「感謝・感謝」の生活になるといわれています。長年連れ添った夫婦には、それだけの人生の重みがあるのでしょうね。介護が人生の仕上げになっています。

4) 疲れの原因

 最近まで、乳酸がたまるのが、筋肉疲労の原因といわれていました。確かに、筋肉を使うと、一時的に筋肉内および血液中に、乳酸がふえます。しかし、その後、この増えた乳酸も、筋肉のエネルギーとして、使われることが判ってきました。
 乳酸は、疲労物質ではなかったのです。
 最近の研究で、疲れには、免疫抑制物質TGF―βが関与していることが判ってきました。TGF―βは、疲れた局所だけでなく、血流にのって、脳まで達します。脳の前頭葉にある眼窩前頭皮質が、疲労を感知する部です。この部が、TGF―βを感知すると、身体に対して「休め」と指令をだします。
 「疲れ」は、脳が発している危険信号です。これを無視すると、本当の病気になってしまいます。また、TGF―βが持続的にでている状態が、慢性疲労症候群です。

5) セロトニンをふやす

 脳内のセロトニンが減ると、疲労物質の影響を受けやすくなります。また、うつ病にもなりやすくなります。
 セロトニンは、神経伝達物質のノルアドレナリン(興奮、不安物質)やドーパミン(快楽物質)の働きを調整する役目です。セロトニン神経は、脳幹部から脳全体へ分布しています。
 セロトニンを増やすには、リズム運動(ウォーキングなど)、咀嚼運動(よく噛んで食べる、チューインガムをかむなど)、呼吸運動(腹式呼吸)、日光に当たる(これは1日10分以内に)などが、有効です。
 また、セロトニンは、必須アミノ酸のトリプトファンから合成されます。トリプトファンの多い食品は、バナナ、大豆製品、乳製品などです。
6) その他の疲労対策

食事:疲れた時には、ビタミンB1を補給して下さい。ビタミンB1は、ブドウ糖をエネルギーに変える時(クエン酸回路)に必須のビタミンです。
また、筋肉疲労には、お酢(クエン酸)が有効です。
アミノ酸は、組織の修復に必要な蛋白源です。とくに、分子鎖アミノ酸(バリン、ロイシン、イソロイシン)は、筋肉の疲労回復に有効です。
緑の香り:木の葉に含まれる青葉アルコールや青葉アルデヒドに、癒し効果が認められています。ヒトを使った単純作業を繰り返す実験で、緑の香りを吸うと、疲れにくいという結果がでています。
部屋の中に花や木を飾ったり、ガーデニングなどの趣味は、おすすめです。
入浴・睡眠:“一日の疲れは、入浴と睡眠でとれ”といわれています。
これらに関しては、安全な入浴法(2005年11月28日版)および ぐっすり寝て、すっきり起きる(2005年12月28日版)を参照して下さい。
気分転換:とくに介護疲れには、必要です。前述の本田桂子さんは、「よく介護し、よく遊べ」といっています。趣味や旅行なんでもいいです。お年寄りをデイ・ケア、デイ・サービス、ショート・ステイなどで預かってもらうのも役立ちます。決して、一人で抱え込まないことです。

7) 無名兵士の言葉

 アメリカ南部の小さな教会に小さな銘がかけてありました。南北戦争時代に、南軍の兵士だった無名の方の作品です。
 いま、この銘は、ニュ―ヨーク大学附属ラスク・リハビリテーション研究所のロビーに、かかっています。この詩を、人生に疲れ、悩んでいる人に贈ります。

悩める人々への銘(作者不詳)

大きなことを成し遂げるために
強さを求めたのに
謙遜を学ぶようにと弱さを授かった

偉大なことができるようにと
健康を求めたのに
より良きことをするようにと病気を賜った

幸せになろうとして 富を求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった

世の人々の称賛を得ようと 成功を求めたのに
得意にならないようにと
失敗を授かった

人生を楽しむために あらゆるものを求めたのに
あらゆるものを慈しむために
人生を賜った

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
私は もっとも豊かに祝福された