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第2回  日本舞踊  :  若柳  一lさん (2003/3/2)

■本名:香賀 槌子(かが つちこ)

■芸名:若柳 一l(わかやぎ かずよ)

■生まれ:大正8年2月生まれ

■現住所:岡山市海吉

岡山市海吉の内田家の二女として生を受け、5歳のころから多芸・風流人の祖父の手ほどきで踊りをはじめた。

15歳(高等女学校3年)のとき母親と死別したが、謹厳な父と慈しみ深い祖母の手で薫育をうける間にも、ずっと踊りは続けていた。

昭和13年に結婚、ご主人の暖かく深い理解のもと、主婦業と三人の育児のかたわら趣味と生き甲斐として踊り一筋に精進を重ね、昭和36年には若柳流の名取りとして「一l」の芸名を得ている。

娯楽に乏しい戦後の時代には広く近郊にも出演行脚し、特にふるさとの村芝居ではスターの地位をほしいままにした。 時に師が30歳の頃の貧しくもよき時代のことだ。

岡山城主池田家の菩提寺である曹源寺では、池田厚子さまの御前で艶姿を披露したこともあり、近年では地元の氏神様=吉備津岡辛木神社の大修理落成式典での奉納演舞をはじめ、学区や町内の敬老行事に香賀一門は毎回出演して好評を博し、町内の盆踊りでも創始期から連続二十余年にわたり愛弟子を率いて陣頭演舞する等、芸道と奉仕の余生に身をおく境涯だ。

地元の富山公民館で11年来の講座を持ち、現在の住まいでも30余年にわたって教室を開いているが、「教えるなんておこがましいこと。仲間や若い人たちとのおしゃべり会ですよ」と明るく笑う。

今はご主人と二人でオシドリ暮らしだが、外孫7人・ひ孫7人に恵まれて趣味の花作りも楽しみながら、歌謡舞踊が幅を利かす世の中にあっても、頑ななまでに古典舞踊一筋に「スズメ百まで踊り忘れず」の人生を地で行っている。

(取材:小野田 写真:岡崎)

 

 

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