2005年2月2日、ご逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
■明治29年3月20日生まれ 満106歳
(平成14年11月現在)
増恵おばあちゃんは岡山県総社市に生まれ、結婚後は岡山市内に住まいを持ち、三男三女をもうけられました。
昭和27年には夫と死別、子どもたちも次々と亡くなり、今ではただ一人存命の三男の方のもとで余生を送っていらっしゃいます。
コスモスの咲き乱れる小春日和の昼下がり、内田会長と小野田総務部長は、三男の方に案内を乞い静養中の恵風苑に増恵おばあちゃんを訪ねました。
お耳が遠いほかはきわめてお元気で、ベッドに腰掛けた姿勢で終始キチッと対応され、「ようこそ、こんなところまで来てくださいました。」「ここではなんのおもてなしもできなくて申し訳ありません。」「倅(せがれ)も歳をとりましたが、どうぞ宅のほうへ碁でも打ちに来てくださいませ。」と、実にしっかりした表情とはっきりした口調で私どもに話しかけてくださいました。
インタビューに伺ったつもりが逆に筆者に対し「いくつになられましたか。」との下問があり、66歳だと答えると、「まだまだですなぁ、私の孫みたいなもんですよ。」と軽くイナされてしまいました。
さすがに脚力はおぼつかなく伝い歩きしかできないそうですが、介助を受けて車椅子に乗せてもらうと、食堂へは自分で車椅子を操って行き帰りするなど、とてもお元気な日常のご様子でした。
ご家族の話では、「好き嫌いなく食事をし、日中はトロトロとまどろんでいる」といった生活で、「これといってお楽しみや“長寿の秘訣”は思い当たらない」とのことでしたが、ご家族の愛情に包まれて、ご本人のあの気配りや心遣いが心身共にお元気な現在を支えているんだな・・・と実感しました。
お暇を告げると、手を合わせて「ありがとうございました。」と見送ってくださり、実にさわやかで神々しいものに触れたような思いのひとときでした。
(取材:小野田)