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2010/08/22 水防用半鐘杭

1985年(昭和60年)に海吉橋が開通するまでは、現在の主要地方道岡山〜牛窓線は百間川の河川敷(田んぼの中)を走っていて、当然、道路部分の堤防は切り通しになっていた。

すなわち、百間川に水が出ると、この切り通し部分から洪水が居住区側へどっと流れ込んでくるため、急きょ消防団が出て切り通しに樋板をはめ込むことになるのだが、平素その樋板を格納しておく「樋小屋」なるものが堤防上にあった。(出村スポット〜海吉橋遠望今昔〜2004.5.6 参照)

この樋板がやたらと分厚く長く当然重く、また、はめ込んだ2枚の樋板の間には土嚢をびっしり詰め込むという短時間での重作業だから急いで村の屈強な青壮年を呼集する必要があり、そのための警報半鐘が堤防の近くの道端に設けられていて、非常時には村役がこの半鐘を乱打して急を告げたものらしい。(案内図参照)

その半鐘櫓は、路肩に埋められた2本の花崗岩の基礎杭にヒノキ丸太が添えて建てられ、それに7段の横木が梯子状に固定され、最上部の鉄棒の先に青銅製の半鐘が吊り下げられ、村人はこれを「半鐘杭(はんしょうぐい、転じてハンショウギィ)」と呼んでいた。

時は移ろい、戦後のドサクサで半鐘は盗まれ、やがて旭川ダムができ、情報網の発達した世の中に鐘のない朽ちた半鐘杭だけが残ったが、昭和40年代の後半のころ撤去された。

思えば、この半鐘の音が村中に聞こえたとすれば、当時の世の中はずいぶん静かであったことが偲ばれ、そう言えば行商人の鳴らす鐘の音や物売りの声が、家の中に居ても聞こえていたことが思い出されて懐かしい。

 

(写真・文:小野田)

 

 

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