<第8回>   「岡山市金山寺地区の 風土記」      平成17年9月1日
 記  :  秋山  毅
  


我が町 金山寺

町名は 「カナヤマジ」、備前四十八ヶ寺の本山である古刹は 「キンザンジ」と 呼ばれています。
岡山市から北東にそびえる 標高 499.5mの 金山の中腹より 集落が開け、お寺・金山寺(キンザンジ)の南東部の 門前地区と、お寺より北(上)の 大平地区(オオビラ)地区とからなります。  戸数は 約40戸 。昭和27年より、御津郡牧石村大字金山寺から 岡山市金山寺となりました。

それでは、写真を ご覧頂きながら、金山寺を ご案内させていただきます。

金山口より。 昔 小学校校歌で ♪ 朝靄(アサモヤ)架かる 金山の・・・・・♪ と 歌われた、市内 最高峰である 金山の 山頂を 仰ぐ

金山に登る道中に立つ お地蔵様、 以前は 金山川を 北に渡った所、金山寺地区 最南端にお独りで 御立ちでした

金山寺   門前地区

高僧の 栄西、重源、豪円や、藩主の宇喜田直家、池田光政等と ゆかりの深い 金山寺は、金山の中腹にあり、県内一の山上伽藍の名刹

* 御津郡 馬屋下 生まれの 摩訶上人という方が、孝謙天皇 (奈良時代)の 御悩平癒に際して 加持祈祷を行い、その功により 報恩大師の号をたまわり、大師が 天平・勝宝年間(749〜755年)に 開山・創建したと 伝えられています。

* 平安時代から 室町時代までの 金山寺の寺領や土豪に関する文章 52通からなる 『金山寺文書』 七巻は 重要文化財

金山寺 仁王門   岡山市重要文化財

左右の 金剛力士像が 迫力

金山寺 仁王門について

金山寺 護摩堂  岡山県重要文化財  不動明王安置

正月・5月・9月の28日に 護摩供養が 行われます

金山寺本堂  重要文化財

天正3年(1575年)宇喜多直家が 再建
毎年 2月の 第一土曜日に、会陽(エーヨー)と 呼ばれる 裸祭りが 境内で行われます。
昼は子供 夜は大人が、陰陽二本の 宝木(シンギ)の 争奪戦を 繰り広げます
私も、40歳の厄年を過ぎるまで 「褌」を 締めて参戦しました

金山寺三重塔  岡山県重要文化財

平成15年に 大修覆 完了 大日如来像 安置

三重の塔から 岡山平野を望む 向かって右手が 笠井山

金山寺  大平(オオビラ)地区

村の鎮守の神様 金山八幡宮  鳥居に向かって 右手の獅子が 行方不明
昔、秋祭りでは 境内で子供相撲を 奉納  楽しみでした

金山といえば 「菊」

菊は、畑で大きくするのも 大変、畑から切ってきて、出荷するまでの作業も 大変

菊の 集荷場

市場に 出荷されて 「卸」 されます

金山寺 大平地区の 田畑を守って来てくれた 「おく池」

子供のころ、夏休みには この池で 夕方まで 泳いでいました

金山の 山上には 何本かの巨大な 鉄塔が建っています

この鉄塔は 現在デジタルMCA無線の基地局として 利用されていますが、今後は デジタルTV放送の マイクロ波の中継局として 利用される予定です

岡山市の 最高峰   金山の頂上 499.5mの 地点

金山の 山上より、 岡山市を 望む

晴れた日は、南は 四国山脈・北は 中国山脈 大山が 一望できます

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