天野八幡宮
 創建は不詳ですが、延喜五年(905年)の神名帳に記載されている式内社です。鹿田庄十二ヶ村(大供・東古松・岡・内田・奥内・田住・二日市・七日市・十日市・浜野・円覚・青江)の総鎮守で、元は三門に鎮座していました。大正十年(1921年)青江に移転し、八幡宮を合祀して現在の天野八幡宮になりました。直接の氏子区域は奥田・青江・豊成・新福・福田・福富・青江新田です。
 南鳥居には南無妙法蓮華経の題目が刻んであり、維新後官命によってこれを削り落とそうとしましたが、石工が腹痛に襲われ中断し、現に半ば削り落とされたままになっています。