彷徨える常夜灯

 西向の常夜灯は、明治19年に西向町内の先人の尽力で、足守川の旧撫川大橋の西岸に築造され、当時は船舶往来の燈台として重要な役割を果たしていました。花崗岩で作られた独自の様式は、歴史的にも文化的にも貴重な郷土の文化財です。
 その後、大正5年の河川氾濫に伴う再建、昭和42年の足守川拡幅工事による移築、昭和50年の修復再建と数奇な運命をたどり、ついに平成25年、老朽化に伴う防災の見地から撤去やむなしとなりました。
 ここで再び過去の先人の例に倣い、地元西向町内の有志が立ち上がって「庭瀬かいわい案内人の会」の協力を得ながら、吉備公民館内の敷地に一命を取り留めることができました。
 幾多の彷徨を重ねながら、明治19年から100年以上も地元住民の手によって、保存継承されてきた西向の常夜灯は、まさに郷土の人々の誇りです。

   
昭和30年代当時の様子(足守川東堤) 昭和42年移転の様子(西向の難波久男氏敷地・南側から臨む)