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古墳、古寺、観音、天満宮など、まさに宝の山の大内田地区を巡る里山コースです。所要時間:約3時間
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 芝(こうげ)一の樋から取水された妹尾川が西野九斗で「東六間川」を底樋(伏せ越<こし>)で潜り、南流する。江戸初期の土木遺産を垣間見ることが出来る。more
 定杭から大内田集落に入った曲がり角に、折れた道標があり「ゆうか、こんぴら道」と判読できる。大内田の荒神様北に一基あったが現在不明である。
 大内田塚山の麓の谷口砂洲上地形の貝塚跡。(現在駐車場となり、看板のみ) 縄文中期から縄文後期までの貝塚。下層部は牡蠣、純貝など海水でとれる貝類と中期縄文土器。上にゆくに従って、ヤマトシジミ、ハイガイなど塩分の少ない場所での貝類と後期縄文土器が発見されている。
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 矢尾峠の北路傍の「地場大師五十番」の石標から入り谷川を渡ると、供養塔、水子地蔵群がある。さらに奥に大師堂・御籠堂・「三谷八十八所南無大師遍照金剛、三十三所観世音菩薩」の碑がある。
 その手前に「天満宮霊水」と呼ばれる清冽な泉があり、近郷からその霊水を汲みに来る人が後を絶たない。また南の突き当たりに不動尊を刻んだ石碑が建ち、後の山腹にはミニ三十三観音霊場もあり広大な霊域をなしている。more
 元塚山部落、俗に永坂の小丘の南面中腹にある横穴式古墳。羨道は南面しており、間口1.5m、長さ4.3m、高さ1.3m。天井石は3枚の巨石を使う。この付近は昔の金毘羅みちであり、峠には茶屋もあったとのこと。more
 千手寺の真南の山腹の御堂跡で、弘法大師を祀る。千手寺に保存の当庵棟札に、「天明六丙午歳 大師堂当村建立為寅歳童子一周忌追善 武井鉄之丞輝高十六歳書之、大工棟梁塩飽本島藤原末孫大倉傳五郎政光」裏面に「当村武井鉄之丞輝高書之」とあり。
 現在、関係者の墓石、姿見の井戸跡、記念碑「當霊場建立天明年間勧請高祖大師大正十年三月九日、浮映於此泉底尊影矣(このいずみのそこにそんえいふえいかな)」、地場八十八箇所の八十五番札所あり。more
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 集落の南端の小高い丘の上にあり、元差山廿二坊の一の千蔵坊の阯。本尊観世音菩薩は千手寺の観音堂に安置されている。現在は石地蔵尊が祭られ、傍らの塀の内に堅牢地神、水神が祭られ「荒神様」と呼ばれている。more
 大内田の集落西の山中腹にあり、大内田の氏神(もと弥陀八幡という)。誉田別命(ほんだわけのみこと)(応神天皇)外二柱を祭神としている。more
※八幡神社の西山腹に、「役行者(えんのぎょうじゃ)」と「不動尊」の浮彫の石碑が村を見守っている。左は伴鬼を従えた役行者で「干時天保十一年大山登山」と書かれ、右の不動尊には「施主当村中先達坪井恵三、長次郎」とある。more

 元は妹尾山田地区にあり、妹尾兼康も信仰し、その霊験で平家に重用された。また12ケ郷用水の水脈筋(みおすじ)も霊験によると言われ、「用水の神」と郡中の信仰が篤く、池田家の崇敬も篤く、例祭には代参が行なわれていたと言われている。
 明歴年中大内田山中に遷座され(そのため天神山と呼ばれる)、さらに流通センター開発に伴い現在地に遷座されたものである。more 

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 日差山の山坊の一つが移った坊跡。本尊などは千手寺へ。二畝(60坪)程の敷地の南西に石地蔵尊あり。北に2祠があり、右は皇太后太夫天神、左は大蔵大明神。皇太后太夫天神は、藤原中納言俊成(としなり)(大内田里正の公森家の祖)を祀る。皇太后太夫とは皇太后の仕える役所の長官で俊成がその職にあった。more
 旧来は、御室仁和寺の末寺、天平勝宝四年(752)に報恩大師が開創したと伝えられる。本尊は行基菩薩の直作と言われる「木造千手観音菩薩」で、天平年間(奈良時代)に建立された加茂村津寺の末寺。
 天正年間に仁和寺末となったが、約四百年を経て、第二次大戦後には、高野山の末寺となっている。備中の戦乱(高松城水攻め)の際にも焼けずに残った寺。more

 大内田集落の入口に花崗岩製で高さ約2.4mの灯篭が高さ90cm、1.8m四方の台(石垣)に建っている。「天保十五年甲辰四月建之 吉備津宮 八幡宮 金毘羅大権現 世話人 若連中村中」の銘あり。more

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 六間川が足守川に合流する地点に明治42年頃築かれた一連の樋門。石組から見て土木遺構となる樋門である。50mほど上流の旧樋門跡には樋門の石組、舟溜り、轆轤(ろくろ)受石などが残り、これは江戸中期の誇るべき遺構である。more
   
お問合せ先:岡山市立吉備公民館(庭瀬かいわい案内人)tel 086-293-2170