金 毘 羅 往 来−庭瀬地区−
提供者:田坂氏
「吉備温故秘録」によると、鴨方往来から庭瀬より南へ金毘羅往来が通っていると書かれている。(備中領主戸川の時代)
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○  狭川の道標
36cm角。地上高さ189cm 台石がある。
西面−吉備津 大阪 岡山
北面 −金毘羅 由加倉敷玉島 かさ岡道 安政六(1859)年という刻字もみられる。
○ 大橋の東の道標
旧撫川大橋の東土手下 地上部分87cm
西面−左 於かや満 みやうち道 吉備宮 廿町
北面−右 た満しま 下津井道 由加山五里
寛政九(1797)年という字も見られる

○  西向の道標
26×17cm。地上高さ100cm
右 毘沙門 道
左 金比羅 ゆが 道

○  定杭の道標
30cm角、高さ地上約150cm 台石がついている
東面−左 金毘羅道
西面−左 岡山 吉備津道
北面−右 倉しき 玉し満道
明治十四(1681)年という字もみられる