三蟠軽便鉄道アバットの跡     
  メガネの専門学校南の用水に架かるアバットの跡     
  平成27年4月11日 (土)    

三蟠軽便鉄道アバット跡     用水は平井元町と上平井の境界ともなっています。 
アバットの跡がくっきり、現在ここにしか残されていません。   隣地のたんぼで大規模開発が始まっています。
       
  用水も改修されることになり、平井学区として文化遺産   貴重な鉄道遺産としていつまでも保存したいものです。 
   保存運動の結果、残ることとなりました。    周辺に案内看板を設置する必要がありそうです。
     
 
     
平井のお台場跡     
用水が杉土手に突き当たった場所、土手の法面に砲台跡が  幕末に池田藩主が 造った砲台の跡
  あります。用水は土手の下を左右に分かれています。    土手の法面に石垣があらわになっています。 
 
画面右に見える土手の法面には砲台跡の遺跡があります。 
 
雑木が茂って将来は崩れることが懸念されています。
  御後園諸事留帳の中に、天保14年(1843)から安政3年(1856)までの14年間に、藩主が10回に亘り、「杉土手大筒御覧」の記録が残されている。この時期は八代目岡山藩主池田慶政の時代である。この時期大筒の実射訓練が繰り返し行われたことがわかる。   
 
   この時世は1840年にアヘン戦争が始まり、わが国周辺にも西欧諸国の艦船が次々来航し、特に1853・1854年にはペリー率いる米艦隊が浦賀に来航するという緊迫の時代で、嘉永6年(1853)岡山藩は幕府より房総半島の警備を命じられ、千五百人を派遣している。
    三蟠鉄道研究会