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橋本町の由来
資料は『岡山市の地名』より引用しました
 『京橋御門について』と『京橋渡り初めについて』は小串連合町内会様のご厚意により提供して頂きました『わがふるさと小串』より引用させて頂きました。

京橋御門について

京橋御門
小串にある京橋御門(赤木家所有。クリックしてください。大きな画像になります。)
 小串小学校の裏道を民家の土塀に沿って歩くとお寺を思わせる大門が現れる。江戸時代岡山城下の京橋西詰めにあった「京橋御門」を移したものである。

 門の中央に両開きの大きな扉があり、扉左脇間は腋戸、右脇間は板壁、扉板の矧目に鉄板を貼り、乳金具・八双金具をもつ薬医門である。高さ約五メートル、横幅約七メートル、見上げるように高いのは乗馬の人が通るためであったという。扉は奥にしまったまま装飾の金具はさび年代を感じる。屋根には古びた丸瓦が並び修理のあとが伺える。

 地元では、雄大なこの門を「大門(おおもん)」と呼ぶ。赤木家の言い伝えでは、一八七四年(明治九年)に岡山藩主池田家より赤木家へ払い下げられたものという。赤木家に伝わる絵図一八九一年(明治二十四年)には、一八七七年(明治十年)に建てた赤木家の教会所(私学校=講社)の前に大門が見える。

 おそらくこの教会所にふさわしい立派な門をと考え京橋門を購入したのだろう。現在も門は赤木家の所有だが今は誰も住んでいない。門は老朽化しているが、赤木家により屋根瓦の補修等にも心を配り保存に努めている。岡山城下の町並みは、昭和二十年六月二十九日の岡山大空襲で大半が焼け、名残りをとどめるものは数少ない。小串地区に移されていたこの門は焼失をまぬがれ、城下町岡山を知る貴重な文化財としてカメラに納める人も少なくない。

小串を考える会発行『わがふるさと 小串』より 原文のまま
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