JR吉備線足守駅
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中国鉄道創業時にのせた鬼瓦
総社駅の中鐵印鬼瓦
吉備線足守川鉄橋を渡るSL
足守駅東鉄橋と
記念SL。副堤案内板
足守駅から足守の自宅まで約二里の道はすべて自分の土地という、この付近一帯の大地主であった藤田連蔵氏が総社市の湛井(たたい)から岡山市までの鉄道を敷設したとき、足守の町に駅をつくる計画でしたが、かなり迂回するため限りなく足守に近い福崎に駅をつくり自分の町の名前を駅名としました。
 明治37年11月10日、中国鉄道株式会社が吉備鉄道株式会社を31,500円で買収し、岡山から湛井間約21qが開通しました。  
 また、高松〜稲荷山約2、5qを明治44年5月営業開始さらに奥の院までケーブルカーがつきました、大正14年東総社−湛井を廃止し、東総社−西総社を開業しました。
 その後、大東亜戦争に入り、高松〜稲荷山・奥の院までケーブルカーは廃止され、残った鉄道は軍事重要路線として日本国有鉄道に強制買収されました。
 現在はJRになりディゼルカーが一日33往復して大変便利になりました。
 しかし、車両は、各地で使わなくなった古いもので、色もまちまち、中にはグリーン車も混ざっています(普通料金で乗れます 下の写真)。
 夏はクーラーがたびたび故障で止まり窓を開けて走ります、冬はドアーが手動となり知らない人はドアーの前でじっと待っています。

  一昔前までは蒸気機関車に牽引された列車が1時間に一本で時計代わりにしており、野良仕事中でも時間がよくわかったものでしたが、今は度々通るため分からなくなりました。
 
 色とりどりの客車(昭和50年代のものの寄せ集め)