十二箇郷用水
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  十二箇郷用水は、福崎町内を流れる農業用水路です。
 この用水は備中東南部十二箇郷一帯の平野をうるおし、その灌漑面積は約5千fにも及び、往古より今日に至るまで、流域地方にほとんど旱損の憂いがなく、その恩恵を享受しています。
  この用水の水源である湛井堰は高梁川の最上流に位置し、用水期間中は高梁川を真一文字に堰き止めて十二か郷の村々に引水されており、特に旱魃の年には筵や菰を当てて土砂を塗りつけ、下流へ一滴の水も流さぬほどに堰き止めるという強力な上流優先取水の慣行を持っていました。 
 十二箇郷用水の起源は明らかではないが、平安末期寿永元年(1182)に妹尾郷の豪族妹尾太郎兼康によって、高梁川の現在の位置に湛井堰が築造され、用水路が整備されたと伝えられています。
  幾多の変遷を経ながら毎年6月15日に井堰を築造し、用水を取り入れてきたが、昭和31年3月小坂部ダムの完成、昭和40年4月に国営付帯県営灌漑排水事業計画の一環として近代的な高梁川合同井堰が完成、昭和44年の幹線水路改修の完成によって長い十二か郷用水史も一応区切りをつけています。
  湛井堰と用水の管理には古くから湛井十二箇郷村々(十二箇郷とは、刑部郷、真壁郷、三輪郷,八田部郷、三須郷、服部郷、庄内(生石)郷、加茂郷、庭瀬郷、撫川郷、庄郷、妹尾郷である)により、明治33年10月からは湛井十二箇郷組合が引継、今日に至っています。
 昭和50年現在の関係市村(59の大字)は
総社市井尻野、門田、小寺、福井、刑部、総社、井手、金井戸、南溝手、北溝手、窪木、長良、真壁、溝口、三輪、三須、上林、下林、岡山市高松、高松原古才、和井元、立田、
高松田中、福崎、門前、小山、高塚、三手、加茂、津寺、新庄上、新庄下、惣爪、吉備津、庭瀬、川入、東花尻、西花尻、平野、延友、中撫川、撫川、大内田、納所、妹尾、妹尾崎、山田、大福、古新田、倉敷市日畑、上東、下庄、西尾、矢部、山地、都窪郡清音村三因、軽部、柿木、山手村西郡 
となっています。
  十二か郷の農民はそれらの藩領の枠をこえて団結し、伝統的な水利権の維持にすこぶる熱心であった。すなわち高梁川の下流地区や秦地区との水利権争い、高瀬舟の航行問題、高梁川上流地域の産鉄に関する公害問題、児島湾周辺の干拓についての紛争等しばしば起こっていた。
  生石郷ではこうした事情のため各溝に取入口を設け、更に田中と三頭の二カ所に荒神堰と三頭堰を設けて番水制がとられている。番水は「荒川通し」がすむと始まり、上流から田中、下土田、福崎、高塚、門前、小山、三手の順に田植えが済むと水を下流に送り,田植後は前記の地区順に二昼夜ごとの本格的な番水となる。
 門前・小山・三手では番水を待っていると田植えが遅れるため、岩崎用水の水を逆流させポンプで汲み上げたり、井戸水を利用して田植えをしていた。
 樋守給・浚渫した砂置場の地代等の費用すべてが十二か郷に均等に割り当てられていた。その負担率を「郷歩」と称していたが享保〜文化頃に書き上げられたと考えられる「湛井拾弐ケ郷御料・御私料村々御高郷歩帳」によって、福崎分を抜粋する。

賀陽郡庄内郷福崎村 領主 木下定太郎
 村高 567石9斗4升9合1勺 水掛り石高 567石9斗4升9合1勺 
 郷歩 0郷0歩6厘6毛60 昭和50年現在の郷歩 6厘6666
この郷歩は現存の資料による限りでは、少なくとも慶長17年(1612)までにはその基本型が完成しており、古来不変のものとして、江戸時代を通じて用いられ、明治以後も引き継がれ、現在に至るまで十二箇郷用水費用負担の基準になっている。

  浚渫した砂の置場も不要となり払い下げ、財産区のお金として岡山市が管理しており福崎が行う公共事業のお金として使いました。

階田用水施設管理協議会
 総社市のうち窪木・長良、岡山市のうち三手・小山・門前・福崎・高松田中・高塚を灌漑する階田用水施設に関する事務を共同して管理・執行するため、昭和46年 1月に岡山市と総社市によって設けられた協議会であり、会長・副会長・委員二人をもって組織されている。会長は総社市長、事務所は総社市役所に置かれており、協議会の経費は事業費については総社市10%、岡山市90%の割で負担し、その費用については両市ともそれぞれ50%ずつ負担することになっている。
階田用水の浚渫
  服部・生石両郷を灌漑する階田用水は総社市刑部字西山の階田胴木から、岡山市福崎までの凡そ3qがその幹線水路となっている、
  この幹線水路の浚渫は毎年湛井の初堰前の5月下旬に行われ、更に8月中旬になってモクヒキが行われる。その実施区域は服部郷。生石郷村々の均等割りでなく、郷歩によって決められており、西山の胴木から松ケ鼻底樋までを服部郷の旧四か村(長良、窪木、溝手、松ケ鼻)、松ケ鼻底樋から福崎の中田樋(足守川への吐樋)までを生石郷が、担当し、生石郷ではその区間を上流から田中・福崎・高塚・三手・門前・小山の旧六か村が郷歩によって分けて実施している。浚渫経費については、現在では市費が支出されている。
  現在町内に支給されているものは、階田用水樋番給は年10,000円水引代5,000円がある。
 また、藻刈り、浚渫は毎年5,7,9 月に行われ田中・福崎・下土田・高塚・三手・門前・小山の町内から出夫して行っている。

十二箇郷用水改修計画
◎ 現在、高梁川合同堰の改修、足守川沿いへ8.2kmのパイプライン新設など行うことで、岡山、倉敷、総社市など三市一町二村受益面積4,180ヘクタールへの農業用水の安定供給を図る、国営の「岡山南部農業水利事業」が進められている。

◎ 平成10年12月10日の県議会において、国が足守川流域の農業用水の安定確保・供給を目的に、堰や用水路の改修などを進める「岡山県南部地区国営かんがい排水事業」について、地元の同意、完成後の維持管理費の負担はどうかの質問に対し、
 石井知事は「(事業概要書の縦覧を受けて)地元農家でつくる事業推進協議会は、今年四月、地元農家の95.6%の同意を添えて事業申請書を提出している」と答弁。「維持管理費の負担は、できるたけ地元農家の負担軽減が図られるよう関係機関と協議していきたい」と述べた。
 同事業は高梁川合同堰や水路の地中埋設などの工事を行う。総事業費約280億円で国が三分の二、県が17%、関係六市町村が残りを負担。現在、事業実施に向けた調査などを進めている。

福崎電子町内会のホームページで使用した文献
 平成7年10月発行 足守歴史同好会 池田克己著  「足守の歴史」
 昭和46年1月発行 高松町教育研修会編 郷土史「たかまつ」
 昭和61年4月発行 西岡馨著 合祀七十周年記念「生石神社誌」
 昭和61年4月発行 庄内小学校創立100周年記念誌「庄内」
 平成 8年6月発行 高松中学校創立50周年記念誌 「高松」
 平成9年11月発行 正法院湛嶺日継聖人「三百年供養祭報告書」
 昭和51年7月発行 湛井十二箇郷組合編 岡山大学名誉教授藤井駿・岡山県総合
             文化センター主任加原耕作共著  「 備中湛井十二箇郷用水史」
 平成元年6月  岡山リゾート開発株式会社編 鬼の城ゴルフ倶楽部建設事業境影響
         評価調書概要書
 平成3年4月発行 中鐵バス株式会社編 中鐵九十年の歩み
 岡山市立高松公民館所蔵 庄内尋常小学校作成未定稿書類より「生石村の方言」
 平成元年4月発行 岡山市地名研究会編 「岡山市の地名」